熊本洋学校の歴史を感じる洋館。
熊本洋学校教師ジェーンズ邸の特徴
日本赤十字発祥の地で、その歴史を感じることができます。
明治4年に開校された熊本洋学校の教師館です。
居留地ジェーンズの宿舎跡に位置する文化的なランドマークです。
県の重要文化財、洋学校教師館ジェーンズ邸は、1871年竣工の擬洋風建築(表面的には西洋風、屋根は瓦葺きで内部構造は和風)です。1876年に教師館としての役割を終え、翌年の西南戦争では有栖川宮熾仁親王宿舎となり、移築され、熊本県の物産館や熊本女学校の仮校舎などに利用されました。1932年に日本赤十字社に売却、再度移築され、日赤記念館に利用。1970年に熊本市に寄贈され3度目の移築、記念館として公開されました。2016年の熊本地震で全壊、2022年に4度目の移築復元で今に至るそうです。
地震で全壊した歴史的建造物を、良くここまで再建してあるなあと感激しました。この建物の歴史や変遷、地震で壊れた柱などの展示もとても良かったです。水前寺公園からの経路案内が、まだ手薄な感じですが、川添いの道がとてもいい雰囲気で、水も綺麗で、熊本が湧水の恵みに預かる街ということが良くわかりました。
🏣熊本県熊本市水前寺公園22-16🅿️🚗…10台🚃…体育館前、下車徒歩3分程🚌…水前寺公園、下車徒歩5分程※入館時間9時30分~16時30分入館料(フリーキップ🎫で割引有りました)200円~100円※1871年熊本洋学校(現県立第一高校)に外国人、教師を迎えるために建設された。※1,871年8月15日に着任した、ジェ-ンズ氏は完成間のないこの家に入居。※1877年西南戦争では戦火を間逃れ、征討大総督、有栖川宮氏の宿泊所に充てられた。佐野常民氏等が「戦傷者の敵見方関係無く救護をしたい」と願いで許を獲る…これが「日本赤十字社」の前身と成った。1887年新南千反畑に移転…物産館として利用。1903年から2年間は女子学校の仮校舎となり、その後、ロシア人捕虜の宿舎となり、又その後、物産館に。1932年日本赤十字社が県より譲渡を受け、願正寺町に移設、日赤熊本支部の事務所とした。1967年迄使用…日赤県支部事務所が新築されたので、記念館として現在地に移築復元し、1971年5月に県指定重要文化財となる。※その後、熊本地震で倒壊、現在地に移転復元される。水前寺公園12-10(市立体育館前、徒歩3分)※移築される度に利用目的が変わり、地震の倒壊にも会った、この建物のキズ一つを見ても愛おしく想えました(戦争のための使用はして欲しくないです)此れからも永く保存される事と思います。
熊本地震で全壊したらしい。新築感が出過ぎじゃないかい?
熊本震災の後で洋館が倒壊してしまってブルーシートでおおわれていました。多分、復興されたと思いますよ。夏目漱石第3の家は崩壊して居なかったので見学が出来ました。案内人さんの優しさを感じて嬉しかったです。
GWに行きましたが地震のため現在更地になっています。
地震で倒壊しましたが、数年後には再建させるそうです。
現在、熊本地震の影響で公開してません。移転を検討しています。
現在、工事中の為入館出来ません。
名前 |
熊本洋学校教師ジェーンズ邸 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
096-382-6076 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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幕末に熊本藩が熊本洋学校を開校した際にアメリカ人教師のジェームスさんのために建てた洋館です。この前の地震で倒壊したそうですが移転再建して、今のような美しい姿を再度見せてくれています。