万葉集の古河、歴史の響き。
万葉古河の歌碑の特徴
日本最古の万葉集に収められた歌が刻まれている史跡です。
古河という地名が詠まれた歌に触れることができます。
雀神社の真裏で、歩き旅の途中に立ち寄れる便利な場所です。
雀神社真裏😀
【当碑】は、「麻久良我の 許我の渡の 韓楫の 音高しもな 寝なへ児ゆゑに」と日本最古の歌集「万葉集」で古河の地名が読み込まれた一首が刻まれている。脇の説明板では上記の万葉仮名を下記のように読み下している。「まくらがの 許我の渡りの からかじの 音たかしもな 寝なへ児ゆえに」※許我(コガ)「万葉集」に収められた4,536首の中で、ここ古河の地で詠まれた歌が2首あり、この近辺に渡しがあったのか貴重な場所である。残りの一首は下記の通りである。「逢わずして 行かば惜しけむ まくらがの 許我こぐ船に 君も逢わぬかも」万葉古河の歌碑案内板が、歌碑の左隣に立つ。内容は、万葉集、古河(許我)を詠み込んだ短歌2首、この説明及び歌碑建設経緯である。建設委員長は「渡辺武夫」、篆刻家は「生井子華(イクイシカ)」とある。2首は万葉集巻十四の東歌の部に記載されているそうです。五七五七七の調べに乗って物語がちりばめられている。いい歌ですね。東歌は全て作者不詳なので作者は高名な人ではない。一般人が詠み推敲し口誦してきたものなのでしょう。それを誇りとして立派な石碑を建てたことに対しても賛辞を贈りたい!!!【所在地】は、茨城県古河市立崎(〒306-0016)である。立崎の区域は、グーグルマップで確認すると全て河川区域となっている。設置場所は、雀神社西側の堤防上部である。当施設の南には三国橋や新三国橋が渡良瀬川に架かり、下総国・下野国・武蔵国の国境に位置し、渡河施設が当地にあったのだろう。そこには夫婦やカップルの出会い別れが垣間見られたはずである。【枕詞】としての「麻久良我(マクラガ)の」が許我(コガ)に掛かる。枕詞としては「あおによし」が奈良に掛かるのは、国語の時間に聞いたことがあるが、茨城県でも枕詞があるのは誇りですね。しかし、万葉集では、筑波山が許我の2首を超える20首近く詠まれているはずだが、枕詞があると聞いていない。これはどんな理由があるのだろうか?。【接道】は、雀神社の直ぐの西隣なので、同社へのアクセスと同様となる。同社へは、一之鳥居に繋がる「参宮道路」が旧日光街道から分岐。広域的には国道4号線からの接近するが、北端は信号機「野木」で「県道野木古河(261号)線」に入る。また、南端は信号機「中田町」で公方通り(市道)に入る。県道野木古河(261号)線と公方通り(市道)は、台町三叉路で接続する。【駐車場】は、境内地に常設の未舗装駐車場が社務所前に整備されている。面積は、相当広いが区画線が引かれていないので、注意を要する。参宮道路で神社に突き当たったら右折すると左手に入口がある。なお、正月三ヶ日には境内地の社殿裏(北側)に臨時駐車場が用意される。【トイレ】は、「観光トイレ」として境内地の南端に整備されている。よく清掃されて気持ち良く使用できる。観光トイレという名称を見るのは、足利市で初めてだったと思う。その際も快適な利用環境だったのを覚えている。
「まくらがの許我(こが)の渡りのからかじの、音たかしもな寝なへ児ゆへに」と「逢わずして行かば惜しけむまくらがの、許我こぐ船に君も逢わぬかも」日本最古の万葉集に収められた4
| 名前 |
万葉古河の歌碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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日光街道の歩き旅の途中に立ち寄りました。ロータリー沿いの歩道右側にあります。