青函連絡船戦災の碑で平和を祈る。
青函連絡船戦災の碑の特徴
八甲田丸の近くに建つ、青函連絡船の慰霊碑です。
戦争末期の犠牲者を悼む、静かな雰囲気の場所です。
冬場は雪に覆われ、訪れるのが難しくなります。
青函連絡船戦災の碑です。永遠の平和を願うばかりです。
第二次世界大戦において米軍は日本の都市に対し頻繁に爆撃を行ないました。軍事施設のみならず一般市民を巻き込んだ無差別爆撃です。66の都市に対し爆撃が行われ、40万人以上が亡くなったと推定されています。米軍は1945年7月28日に青森市街に無差別爆撃をしました。いわゆる青森大空襲です。死傷者は1767名、焼失家屋18045戸、市街地の88%が消失しました。しかしこの空襲に先立つこと半月の7月14日にも空襲を受けていたのです。攻撃対象は青函連絡船でした。当時海外からの補給の絶たれた日本は、その燃料の多くを北海道からの石炭に頼っていました。そしてその運搬に青函連絡船が使われていたのです。アメリカはその補給路を断つべく青函連絡船を攻撃したのでした。連絡船12隻が被害を受け8隻沈没、2隻大破、2隻航行不能と青函連絡船は壊滅してしまいました。死者は352人………そして平成17年、「青森戦災・空襲六〇周年事業実行委員会」によってこの慰霊碑が建立されています。ちなみに戦時中米軍の攻撃で7,000隻以上の民間船舶が撃沈され、死者は推定で6万人を超えるのです………なお周辺は駐車スペースなっていて石碑は車の蔭に隠れています。見落としやすいのでご注意ください。2025.9.19
東北一周ドライブ旅行で立ち寄りました。朝、ホテルから散歩して見つけました。戦時中に米軍機の攻撃を受けて沈没した青函連絡船、亡くなられた乗員と乗客の慰霊です。
青森空襲から60年の2005年7月14日、青函連絡船戦災犠牲者を追悼し、平和を祈念する為に建立されたそうです。7/14~15、8/10の艦載機の爆撃により、青函連絡船は壊滅してしまったそうです。そんな歴史があったとは知りませんでした。青函連絡船メモリアルパーク側に目立たぬように建立されています。
ワ・ラッセ方面から津軽海峡冬景色の碑に向かう途中、八甲田丸の所で見ました。
ぜひお立ち寄り下さい終戦間近に人々の物資を輸送する為に多くの尊い命が奪われました軍隊の護衛も無く多くの人命が奪われました石碑に刻まれた文字を読んでほしいと思います。
戦争激化の中、青函連絡船の犠牲者慰霊のための石碑です。
連絡船可動橋跡の直ぐ横に建つ碑。
2021年7月27日撮影戦争末期の1945年七月、八月に空襲で青函連絡船は一時全滅。この碑はその時に犠牲となられた方々のご冥福を祈念して建てられたそうです。
| 名前 |
青函連絡船戦災の碑 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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青函連絡船戦災の碑は、第二次世界大戦中に戦災を受けた青函連絡船の犠牲者を追悼するために建てられた記念碑です。この碑は、戦争の悲劇を忘れず、平和の大切さを後世に伝えることを目的としています。青函連絡船は、青森と函館を結ぶ重要な交通手段でありましたが、戦時中に攻撃を受け、多くの命が失われました。碑は、犠牲者の冥福を祈るとともに、戦争の悲惨さを再認識し、平和な未来を築くための教訓として存在しています。訪れる人々にとって、歴史を学び、平和の意義を考える貴重な場所となっています。