歴史感じる弘道館散策。
水戸城三の丸 水戸藩校弘道館の特徴
弘道館は水戸藩主徳川斉昭が創設した藩校で歴史が深いです。
整備された三の丸エリアは、散歩や観光に最適なスポットです。
館内には尊攘の掛け軸があり、その迫力に感動できます。
2026年1月2日訪問小雨の中の訪問になりました。館内は大切に保存されていました。梅の花が咲いている頃にまた訪れたいと思います。
水戸藩の藩校として、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により天保12(1841)年8月に創設されたもので、当時の藩校としては日本最大規模を誇りました。藩士に文武両道の修練を積ませようと、儒学・国学や武術をはじめ、医学・天文学・蘭学など幅広い学問を採り入れた、いわば総合大学というべきものでした。第15代将軍となった徳川慶喜公も、父斉昭公の厳しい教育方針を受け、5歳の時から弘道館において英才教育を受けました。慶応3(1867)年の大政奉還の後、慶喜公が謹慎した至善堂(しぜんどう)が今も残っています。弘道館は国の特別史跡になっており、幾度の戦火を免れた正庁・至善堂・正門の3か所は重要文化財に指定されています。また、敷地には約60品種800本の梅が植えられており、偕楽園とともに梅の名所となっています。
弘道館跡(国の特別史跡)は、水戸駅の北550mほどの茨城県水戸市三の丸にある藩校跡です。弘道館(こうどうかん)は、水戸藩9代藩主・徳川斉昭(とくがわなりあき)が天保12年(1841年)に開設した日本最大規模の藩校です。藩士の子弟が15歳から入学し、学問と武術を学ぶ総合大学のような教育機関でした。幕末という国内外の難局を打開するため、学問と武芸を奨励し、人材育成の拠点として重要な役割を果たしました。斉昭は、儒学の教えに基づき、厳格な学問を学ぶ「弘道館」と、領民とともに楽しむ「偕楽園」を一体の教育施設として構想しました。これは「一張一弛(いっちょういっし)」(厳しさの中にも休息を取り入れる)という思想に基づいています。その教育理念は、斉昭自らが起草した「弘道館記」に記された「神儒一致(しんじゅいっち)」と「忠孝一本(ちゅうこういっぽん)」に集約されます。これは日本古来の神道と儒教を融合させ、国家への忠誠と親への孝行を同義とする思想です。弘道館は、現代の総合大学に近い性格を持っていました。その敷地は約10.5ヘクタール(東京ドーム約2.3個分)という広大なもので、文武両道を重んじる教育が行われました。学問は、儒学、歴史、医学、天文学、数学、さらには蘭学(西洋学問)まで幅広く教えられました。武芸は、剣術、槍術、馬術、砲術などの修練が行われました。「卒業」という概念がなく、若者から老人まで生涯にわたって学び続けることが推奨されていました。幕末の尊王攘夷運動の思想的支柱となった「水戸学」の発信地でもありました。藤田東湖や会沢正志斎といった学者たちがここで教鞭を執り、彼らの思想は吉田松陰や西郷隆盛など、後の明治維新を牽引する志士たちに多大な影響を与えました。また、最後の将軍となる徳川慶喜も、幼少期にこの弘道館で厳しい教育を受けました。慶喜は後に大政奉還を行い、江戸幕府が終焉を迎えた際、謹慎の地として選んだのも、自身の学び舎であった弘道館の「至善堂(しぜんどう)」でした。明治元年(1868年)弘道館は幕末の動乱に巻き込まれます。水戸藩内の対立による「弘道館の戦い」により、多くの建物が焼失しました。しかし、正庁や至善堂、正門などは戦火を免れ、当時の姿を今に伝えています。明治5年(1872年)学制発布により藩校としての役目を終えましたが、その後は県庁舎や学校として利用され、昭和39年(1964年)には国の特別史跡に指定されました。現在の弘道館は、「近世日本の教育遺産群」として日本遺産に認定されています。早春には約60種800本の梅が咲き誇り、斉昭が「文武を極める一休みの場所」として造った偕楽園との一対の理念を体感することができます。弘道館の歴史は、単なる教育施設の記録にとどまらず、混迷する時代の中で日本人がいかに学び、国を思ってきたかという精神の歴史でもあります。
江戸時代の水戸藩の藩校の建物を博物館として活用している。武家屋敷の建物をそのまま活用しているため広く、展示品もそれなりにあるため歴史に興味深い人であれば1時間近くは滞在できるのではと思う。入館料は大人420円、小人210円。
水戸城の百名城スタンプを押すために弘道館へここで、教科書やドラマでよく見る「尊攘」の現物がみられるとは!!慶喜も学んだという 近くに今も学校などがたくさんあって、素晴らしい環境梅はあとほんの少しで咲きそうな時期だった。
空き時間に水戸駅の近くで観光できる場所を求めて訪問。駅から歩いて10分ほどで行けます。水戸藩主の徳川斉昭公による藩校の跡。昔の建物や庭園がきれいに整備されていて、地元の人達から今も大事にされていることが分かります。屋根瓦や畳のへりにまで葵の御紋が使われていて、徳川御三家の家格の高さが伺えます。ここでたくさんの若者が熱心に学んでいたと思うと感慨深いです。
江戸時代後期に造られた水戸藩の藩校。水戸藩第9代藩主徳川斉昭によって天保12年(1841年)7月に完成し、創設された日本最大級とも言われる大規模な藩校です。正庁・至善堂・正門などの建物が国の重要文化財に指定されているほか、文化庁の指定する日本遺産のひとつに数えられます。江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜もこの建物で学び、のちに鳥羽伏見の戦いで敗れたときは謹慎生活を送った場所でもあります。建物は武家社会を象徴する藩校らしく、力強い印象を受ける一方、質素で無駄のない造りで同じ時期の御所や寺社の建物などとは異なる雰囲気があります。維新の立役者は薩長土肥が主役になりがちですが、本来の震源地は維新の根本思想である尊王攘夷や水戸学の本拠地であったこの地に他ならないと感じます。水戸の観光地の中では偕楽園に並ぶ有名スポットであり、近代日本の思想や政治に大きな影響を与えた場所だと思います。
水戸藩の藩校跡水戸城跡に現在する史跡はほとんどありませんが、ここは数少ない内の一つで唯一の有料施設です観覧料420円建物自体も見どころですが、中では水戸藩に関する展示も行われていて水戸城跡全般に渡り学べる施設ですまた、庭園や重要文化財の正門など他にも見どころがあります。
水戸城さんぽ茨城県三の丸庁舎の駐車場に車を止め、銀杏坂のオオイチョウを見て水戸駅へ、駅前の、黄門様と助さん格さん像を見、黄門神社へ、(この祠堂は、水戸藩2代藩主徳川光圀公(義公)を、お祀りしています。)そして大手門へそれから二の丸角櫓まで10分少々、その後弘道館へ、斉昭様の思いが伝わってきます、資料展示室にはその当時考えた潜水艦や鉄製戦車の構想した絵があり有事の事まで考えていた事がうかがえます。本丸には高校、二の丸には高校と付属幼稚園、小学校、三の丸には小学校と庁舎、水戸家が学問を大事にしていたからこそ、学舎の城址公園として、今なを水戸家が残っている様です。
| 名前 |
水戸城三の丸 水戸藩校弘道館 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
029-231-4725 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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弘道館(こうどうかん)は、第9代水戸藩主の徳川斉昭(なりあき)によって、1839年(天保10年)から建設が開始され、1841年(天保12年)に落成した、藩校建築である。徳川斉昭(1800-1860)については、言うに及ばずであるが、当時の封建的な社会の中、世界情勢の変化を肌で感じ、藩の財政に余裕がないかな国家の将来を案じ、藩校という近代日本の足杖になった教育機関を設立した事には敬意を表したい。藩校の出身者が日本の近代化に、多大な貢献をした事は歴史的な事実である。