赤い鳥居と横山城跡。
横山城跡の特徴
横山城跡は庄内平野の中央部に位置し、歴史が感じられる場所です。
赤川の自然堤防上に築かれた平城で、風光明媚な眺望が魅力です。
赤い鳥居が連なる道を歩くと、祠が見られる神秘的な雰囲気が漂っています。
赤い鳥居が連なる先に祠(?)がありました。三川町に城があったことを全く知りませんでした😯
2024.7.14の訪問。横山城の跡地には案内板と標柱が立っています。鳥居のある場所はかつての土塁の跡のようです。1615年の廃城令によって取り壊されたらしく現在は住宅地になっています。
こんなところに城跡が。
横山城は庄内平野の中央部、赤川右岸の自然堤防上に築かれた単郭の平城で、赤川の氾濫原を自然の濠として築かれていたと推測されます。城下ともあり周囲には多数の神社仏閣があります‼︎横山城址に鎮座するのは、稲荷神社の様です。
| 名前 |
横山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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2026.3.4横山城趾(三川町指定文化財)横山下公民館の隣にあります。横山城は平地城でその規模は東西72m(40間) 南北90m(50間余り)で大手は西に向かい南北にも虎口が設けられてあり堀も深く大手脇の角堀(すみほり)を升堀 (ますほり) といって 小さな中島もあったと伝えられています。横山は地域的に戦略上の重要な拠点であったようで永正9年(1512年) 武藤氏と砂越氏の争いがあった頃丸岡城主押切備前守が横山城主となりましたが永禄年中(1559~1569年)に藤島城より横山大膳が攻めてきて城主となりました。その後天正3年(1575年) 尾浦城主武藤義氏に滅ぼされその一門武藤氏廣がかわって横山城主となりましたが天正16年8月 (1588年)十五里ヶ原の敗戦によって武藤氏張(二代目)は横山城を追われました。そして上杉景勝の所領となりましたが天和(1681年)の廃城令によって取り壊されたものと考えられます。