歴史を感じる粟野神社の風景。
粟野神社の特徴
粟野神社の屋根には草が生え、独特の風情を醸し出しています。
社殿は大淀川に向かって建てられ、歴史的な意義が感じられます。
広い敷地に堂々とした拝殿と本殿が佇む神秘的な空間です。
元々の社は災害で流されて❗宮水流にあると聞いた事があります。本当がなぁ~?時間ある時調べてみます☺️
宮崎市街地から高岡に向かう途中にある古びた神社です。1600年に島津義久公が高岡郷を取り立てた時というのは、おそらく関ケ原の退き口で命がけの撤退で帰還してから国境付近の守りを固めたという背景があっての事でしょう。島津家の尊崇が篤かったのは去川の関外の4郷の安全を願ってか、はたまた立派な神社を建てて薩摩藩の国力を国境付近で見せるためだったのか、この辺りの背景を想像したり調べたりするのも面白そうです。往時にはかなり栄えたようですが、今では屋根の一部もブルーシートで覆われ、朽ち果てるのを待つばかりの無人社です。何とか再興してほしい物ではありますが…廃藩置県でスポンサーの島津家との絆も断たれ、廃仏毀釈で別当寺制度もなくなり、無人社なので地鎮祭や厄払い、皇室の写真集や御朱印やおみくじなどで儲ける事も出来ず、今何ができるのかと言われるとなかなか厳しい物を感じます。個人的には浜下りのお祭りが復活できればとは思います。江戸時代の宮崎市は高岡地区は薩摩藩、大淀川以南は飫肥版、天領や延岡藩領、そして市町村合併された佐土原町は佐土原藩と複数の藩が入り乱れた土地でしたが、後述する由緒書きでは他領からの見物客も来たというので、浜下りは宮崎市全体で楽しんでも歴史的にはおかしくないでしょう。何より神武さま以外のお祭り(マラソン大会etc…)でも交通規制の多い事! 浜下りを夏祭りにすればメインストリートも塞がず、川沿いで夕涼みもできるのではないかと愚考しますが…大淀川で宮崎商業高校の生徒さんたちがたまにカヌーをしている姿を見るに、その水質もお祭りでたまに入る分には悪くはないでしょうし、サーフィンばかりが宮崎での水の楽しみ方ではありますまい、と愚考します。[粟野神社由緒]古くは粟野八社大明神と申し上げ、遠く他の領地までも神威輝き毎年旧暦6月26日より濱田下りと称し、延岡領、宮崎郡上ノ町(現在の宮崎市役所付近)まで御神行の行事ありて遠近よりの参詣人多く神威甚だしき旨記しあり。神社創建の年代詳しならず。慶長5年(1600年)庚午年 島津義弘高岡郷御取り立ての節、既存の粟野宮を高岡郷の惣廟に定められ爾来歴代島津との崇敬篤く禄高を奉り採算の改築には多額の金殻を奉納せられた。現在のお宮は一。嘉永5年(1852年)2月吉日 舞殿 拝殿 造替薩 隅 日 寺 社 官 庁地頭 島津蔵人 藤原久名社司 外山信濃守一。大正9年(1920年)5月 神殿 舞殿 拝殿 建替一。昭和4年(1929年)4月 県社昇格に際し大改修一。昭和24年(1949年)11月 台風の被害あり大改修一。現在のお宮は 昭和49年3月神殿の銅板屋根葺き替え舞殿拝殿の大改修並びに社務所の新築工事をなす。
かつては浜下りの神事があったということで、社殿は大淀川の方に向かって建てられています。普通に道路の方から見ると本殿が丸見えになっていて他の神社ではあまり見ることのない構えだと思います。
屋根から草が生えてしまっている様子すら良い。
広い敷地に堂々とした拝殿・本殿です。昔の繁栄が想像出来ます。昭和初期までは大きな例祭が行われていたそうです。現在は拝殿の屋根が老朽化してます。後世に残すべく、復興を願ってます。
| 名前 |
粟野神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
粟野神社歴史を、知ると、凄い神社だった。高浜地区の北東、大淀川北岸に、あり 御祭神は、大己貴命、少彦名命、事代主命、外 5柱 旧県社 粟野八社大明神と、称し祭神には 他に破利斉女が、加わる。御神体として、鏡八面がある。別当寺には 粟野寺があった。地元では、昔当社の 神が、粟の穂に、乗って大淀川を、流れていた ところを勧請した。農耕の神と、伝えられている。昔旧歴六月二十七日の祓祭は、神輿を、🚢船に乗せ舞楽を、奏し 従船数艘と、大淀川を、下り上野町【宮崎】に、浜下りを、したと、今は、廃れている。前から 見たい神社だったが、拝殿の屋根が、だいぶん、悪くなっている。歴史ある神社 早めの 改修工事が必要だ。地区の皆さん 氏子の皆さんのお力や宮崎市に、お願いしたい。駐車場が、ないのが、気になるが、次回参拝するときは、ゆっくり神社の 雰囲気を、感じたいと、思います。ぜひ一度参拝してください。