歴史を感じる素戔嗚神社の桃まつり。
素盞雄神社の特徴
素盞雄神社にある茅の輪守りは、祇園信仰の象徴として知られています。
795年創建の歴史深い神社で、文化祭りが地域に愛されています。
遊歩道からアクセスしやすく、子連れでも楽しめる立派な狛犬が魅力的です。
(すさのおじんじゃ)日光街道(国道4号)沿いにある神社で祇園信仰の神社。主祭神はスサノオ(牛頭天王)。拝殿本殿はとても立派で猛々しいです。境内には社殿だけでなく摂末社、神楽殿、「瑞光石」という霊石を祀る祠や富士塚があります。池には優雅に鯉が泳いでいました。天王祭は屋台が並び大いに賑わいます。三年に一度は神輿渡御が行われます。
2024年(令和6年)7月8日(月)に富士塚がある事で訪問。南千住駅から徒歩8分。素盞雄大神と飛鳥大神を御祭神とする、荒川区内でもっとも広い氏子区域をもつ神社との事。開運を祈願致しました。交番の直ぐ隣に鎮座されており、富士塚も立派に有り、地元の人に大切にされ、境内を散策すれば、歴史ある神社が感じられます。機会が有れば、天王祭に来たいと思います。
日光街道の旅道中に訪れました。天照大御神の御弟神である素盞雄大神(スサノオ大神) と大国主神(だいこく様)の御子神、飛鳥大神(アスカ大神) が祀られる神社です。社殿が美しく、沢山の参拝者がいました。綺麗で素敵な場所です。
神社の場所自体は、日光街道沿いで車の往来が絶えない交差点の角地に位置してました。電車とバス共に参じる事が可能なのが嬉しいです。南千住駅(JR常磐線・東京メトロ日比谷線・つくばエクスプレス線)を降車、西口左側の信号の交差点右へ、日光街道とのY差路迄続くコツ通り(信号6個目)を徒歩15分程。三ノ輪駅(東京メトロ日比谷線)と三ノ輪橋停留場(都電荒川線)は、日光街道沿いを千住大橋方面へ徒歩20分程(こちらは足立区役所行きバスで千住大橋停留所降車スグでも向かえます。)先ず、天王祭の提燈が拝見出来て、本当に感激しました。令和6年は桜の開花も遅かったですが、梅雨入りも?と、その入梅前6月の茅ノ輪神事・茅ノ輪守は、未だでした。御鎮座1200有余年の創建ともあり、さぞ平日でも参拝される方々が沢山、、、いらっしゃらず、鳥居から既に深呼吸した程空気が違い、清々と澄んでいました。素盞雄大神、飛鳥大神、瑞光石との関連や龍からの御神水、氏子区域が61ヶ町、観音様や太い幹のいちょうの木(御神木でしょうか?)そして、池には小さい橋が架けられ鯉が悠々と泳ぐ姿も観られ、穏やかな気持ちになりました。また、松尾芭蕉や元東京都知事の故・鈴木俊一氏の句碑が在ります。更には、蛙さんにもお目にかかれて嬉しかったです。
素盞雄大神・飛鳥大神をお祀りする神社。素敵な鳥居に吸い込まれると、緑豊かな空間が広がっており、清々しい気持ちになりした。春は桃、秋は銀杏と季節折々目を楽しませてくれるようです。境内には神社創設の起源となった霊石「瑞光石」や「小原富士塚」と呼ばれる富士塚、庚申塔があり、小さいながら見所満載✨神楽殿には「なでもも」もありましたが、このご時世で撫でられず… でした。その昔江戸の文人墨客たちの交流の場でもあったとのこと。松尾芭蕉「奥の細道」矢立初めの句碑もあります。芭蕉が船を降りた大橋に見立てた場所には、現代語訳された芭蕉からのお手紙があり、楽しませてもらいました。
素戔雄神社は795年(平安時代)創建の古社です。開祖である黒珍の家の東に小高い塚に奇岩があり、その場所を日夜拝むと4月8日の夜、その奇岩が突然光りを放ち、素戔雄の大神と飛鳥大神の二柱の神様が現れたそうです。神様が(吾れを祀らば疫病祓い、福を増し、永く此の郷土を栄えしめん)と下され、祠を建てお祀りした事が始まりだそうです。現在でも社殿は二方向にあり、西向きに素戔雄大神を南向きに飛鳥大神が祀られています。境内の中央には瑞光石も祀られています。境内には四季折々の梅、桃、桜、紫陽花や樹齢500~600年の大銀杏の木もあり、とても良い気が流れている感じがします。地元にも愛されている神社で天王祭はとてもにぎやかに行われます。JR.常磐線、東京METRO日比谷線南千住駅徒歩約8分位です。
前から気になっていたので、オフィスに行く前に遠回りだけど寄ってみた。ちょっと邪気を祓いたく思っていたところだった。一歩入るとちょっと変った境内だった。雑踏の中にぽつんと何百年と佇む。おらの人生がちっぽく感じた。精進。開運札と御朱印を頂き、さぁ気分も新たに〜
都電荒川線沿線の都電神社めぐりに行きました。四社巡ったあと、終点に名前から惹かれる神社があったので行ってみたのですが凄くよかったです。3/3は過ぎていましたがお雛様がいっぱいいました。人形は数があるとちょっとコワイ…さくらトラムは始発から終点まで1時間強くらいでしょうか?1日400円で乗り放題です。時間によってはとても混んでいましたのでコロナに気をつけて参拝いたしましょう。神前式やってました。白無垢の花嫁さん素敵。お幸せに〜
2022.2.25.参拝南千住駅から徒歩10分位、社殿の重厚感に圧倒される。正面の鳥居から入ると右手の手水舎は活きています。拝殿は正面と、左右両側にも扉が有る変わった形状。右側の扉前には雛人形が飾られていた。クチコミで仕入れた情報では、こちらでは御朱印は書置きとか。御朱印をお願いすると少し待たされた。此方の御朱印、「書置き」では無く「紙に書いてお渡し」の様。その都度半紙に書き入れて渡している様に思われる(つまり書きたて)。墨の香りがハッキリと強い!御朱印以外は全て墨で書かれていて、余計な添印が無いのも良い!ならば御朱印帳に直接書き入れても良さそうな……。姿勢正しい神社、神職の方々なんでしょう。が、参拝者持参の御朱印帳への書き入れは、書き手にすれば真剣勝負で有り、頂く側からするとそれだけに有難いものだと云うことも理解して欲しいところ。一組、また一組と途切れることなく参拝者が訪れていた。
名前 |
素盞雄神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3891-8281 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.4 |
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京都の八坂神社の蘇民将来はよく知られていますが、東京の素戔嗚神社も「蘇民将来」茅の輪守りがあるという事で是非とも訪れたかった神社です。私の生まれ育った日本橋の小伝馬町あたりに牛頭天王(素戔嗚大神)を祀っていた神社があり、それが後世、四谷三丁目の「君の名は」で一躍有名になった須賀神社に合祀されまして、そこの氏子となった時期もあり、更に今は事代主が逆手を打った後の地に住んでいますのでご縁を感じ、感謝の祈祷を捧げました。なので、実は江戸も素戔嗚が大切に祀られてきた土地であるのですね。天王宮の天王ですが、竹内文書に天皇となる前は日本という地域の括りがない"天王"という様な記述があって、近世では偽書とされてきたものの、昨今の時代の変革期に合わせるかの様に古事記前の古文書がどんどん解読されてきていることとリンクします。浅間神社を祀った富士塚がありますが、富士講の一つなのでしょう。御祭神は素戔嗚大神と、事代主(恵比寿・戎)様で、事代主を飛鳥大神といういわれが気になります。飛鳥といえば奈良ですが、鴨や金鵄、白鳥などとも繋がり、歴史を研究している立場から、実は想像より時空を超えて繋がっている様です。以下、須賀神社より〜須佐之男命の鎮座の儀は、寛永十四年、島原の乱に日本橋大伝馬町の大名主馬込勘由と言う人が、幕府の命に依り、兵站伝馬のご用を勤め、その功績に依り、現在の四谷の中心一円の地を拝領したのを機会に、寛永二十年、神田明神社内に祀ってありました日本橋伝馬町の守護神(須佐之男命)を地元民の総発意で四谷に合祀し、御両社として祀る様になり、俗称四谷天王社と云い、明治維新まで親しまれて来ました。明治元年に須賀神社と改称され、明治五年に郷社に昇格、戦後は制度の改正により、旧社格は撤廃されました。