歴史と仏像が息づく日向の寺跡。
日向国分寺跡の特徴
個性ある礎石が並ぶ寺跡は、歴史を感じさせます。
五智館にある木食上人の仏像は、力強い迫力があります。
秋には樹齢600年の大銀杏が美しく紅葉します。
日向国分寺跡881-0005 宮崎県西都市三宅3216-5(五智山・日向国分寺:本尊は五智如来)日向国分寺は西都原古墳群、日向国府跡、日向国惣社三宅神社、都萬神社等々並び、日向国の重要施設として存在していたが、今はその面影は無い・・跡地には「木喰五智館」が建てられている。全国行脚の途中であった「木喰上人」が当地を訪れたとき、国分寺は既に衰退していた・・これを見た「木喰上人」は伽藍を再建して五智如来像を造ったと言い伝えられている。明治4年廃仏毀釈により廃寺となってからも「五智如来像」は保護されて来たが、戦後の台風により「覆い屋」が損壊したため、新たに「五智如来坐像を安置する施設」が造られた・・「木喰五智館」である。
パートナーの友人の案内で初めて行きました。「木喰上人」の名は聞いたことがある程度の知識だったので、その友人の説明で深く感銘を受けました。自分の器の小ささに気付かされました。
寺跡ながらその建立姿を想像させられる😊画一でない個性ある礎石が並ぶのが良い👍選び据える先達坊の後姿をイマジ〜ン🤗
五智館で五人の木食上人が彫った仏像が有ります‼️
大日如来様の仏像外4体の立派な仏像が保存されています。
西都市の市街地と西都原の中間に位置し、大通りから少し入ったところにあります。仁王像や江戸時代に造られた仏像等が往時を偲ばせ、西都原古墳群はじめ古代からこの地域が中心地であったことが感じさせます。
天平13年(741年)の聖武天皇の国分寺建立の詔を受けて日向国に建てられたお寺の跡で、 続日本紀に記載された記事によると天平勝宝8年(756年)12月には完成していたようです。廻国修行の遊行僧として知られる木喰上人(1718~1810)も一時住職を務め、五智如来坐像 5躰(現存)を遺しています。明治4年(1871年)廃仏毀釈によって廃寺に至っています。
素晴らしい🙏
木喰はこの地で無庵無仏行道から天一自在法門と名前を変えている。木喰がここに足を止めたときには既に国分寺は荒れ果てていた。五智如来だけが祀ってあったようだ。3年にして大火にあい、浄財をつのってささやかな国分寺を再建している。そして今ここにある仏像を彫っている。そしてこの地を去っている。木喰は己の周囲に名声が集まろうとするときこの地を去っている。名声を惜しげもなく捨てている。堂を作ったら去る。像を彫ったら去る。何かに囚われるから苦悩が生まれることを木喰は知っていた、と思う。木喰は人生に囚われない天才であった。木喰はいつも一介の乞食坊主に帰り、インチキ坊主にならない決意を持っていた。自ら世を捨てて、世に捨てられて己の自由を勝ち得ていた。そしてその決意を名で表した、と思える。
名前 |
日向国分寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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国分寺・国分尼寺建立の詔に基づいて建立された日向の国分寺跡です。