児島高徳築城の歴史を感じる。
東広瀬城跡の特徴
児島高徳が築城した14世紀の魅力的な史跡です。
矢作川を見渡す絶景の場所に東広瀬城址があります。
入口がわかりづらく、訪れること自体が冒険になります。
階段が急で長い。本丸は広瀬神社になっています。これといった遺構はなし。
周りは天然の要害に守られた地形が、本丸に登るとよく分かります。あの若かりし徳川家康公が攻め寄せた事を思うと感慨深いものがあります。織田家と今川家、そして松平家に翻弄された、まさに戦国時代の動乱が偲ばれます。
入口がわかりづらい。
レンガで作ってある階段で、綺麗なカーブになっています。降りる時は気を付けて降りて下さい。
14世紀に戦国武将児島高徳が築城した。1560年に徳川家康に滅ぼされ徳川の城となった。麓から山頂まで約130段の階段を登るがこの階段の傾斜が非常にきつい。城郭は何も現存していない。天守があったと思われる山頂には今は廣瀬神社が建立されている。
東広瀬城跡矢作川を挟んで反対側に西広瀬城があり、こちらは東広瀬城。現在の城跡は広瀬神社が建立されており、南麓の居館跡は宅地になっています。
駐車場はないので、旧三河広瀬駅を利用しました。急な階段ですがレンガでしっかり土留めされているので、問題なく登れます。「東広瀬城趾」の碑は広瀬神社に上がる前の郭をそのまま進んで下っていけばあります。
| 名前 |
東広瀬城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
〒470-0307 愛知県豊田市東広瀬町城下38 東広瀬城址 |
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東広瀬城跡😊豊田市東広瀬町にある東広瀬城跡は、1344年に南朝の武将・児島高徳によって築かれたと伝えられる城です。その後、高徳の子孫である三宅氏の居城となりましたが、1560年に松平元康(後の徳川家康)によって攻められ落城・廃城となりました。歴史と由来のポイント築城と城主:南北朝時代の1344年、伝説的な武将である児島高徳が矢作川流域の要衝として築いたと伝わっています。のちに高徳の末裔である三宅氏が入り、代々の居城としました。戦国時代の動乱:三宅氏は周囲の松平氏・今川氏・織田氏の間で連合や対立、服従を繰り返して生き残りを図りました。落城:1560年(永禄3年)、桶狭間の戦いの直前に松平元康(徳川家康)によって攻められ落城しました。この戦いで三宅高清が討死し、三宅氏は家康に臣従することになりました。現在の様子:城山(標高約87メートル)の跡地は、現在は広瀬神社が祀られる静かな場所となっています。曲輪や土塁といった遺構が現在も残されており、ハイキングや歴史散策のスポットとして知られています。