ニニギノミコトの聖地へ。
ニニギノミコト御陵墓の特徴
ニニギノミコトの陵墓は天照大御神の孫による神聖な地です。
西郷隆盛宿陣跡資料館から徒歩5分でアクセス可能な史跡です。
整備された静かな環境で、歴史探訪がしやすい場所です。
西郷隆盛の縁の地でもあります。薩摩川内市の「新田神社」の可愛山陵(えのみささぎ)は行きましたが、こちらの参考地は始めて知りました。その先には「コノハナノサクヤビメ」の御陵もあります。
ニニギノミコトの陵墓参考地です。駐車場が西郷隆盛宿陣跡資料館のすぐそばにあり、そこから徒歩で見に行くことが出来ます。夕方に行きましたが付近に誰もおらず、雰囲気があって少し怖いです。陵墓参考地は宮内庁が管理されてるので立ち入ることも調査等も禁止されています。
西郷隆盛宿陣跡資料館のすぐそばです。
ニニギノミコトは天照大御神の孫にあたります。この近辺は痩せた地で稲作が出来る土地は僅かだったようです。
日本書紀に記載されたニニギノミコトの陵墓。きちんと整備されているが、もっと知られて良い場所のはず。旧薩摩藩との力関係で違う場所が指定されてしまい、地元の方も諦めてしまったのだろうか。
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は、天照大神の孫です。そして、天照大神の勅命を受け、天界(高天原)から地上(日本)を治めるために降臨された神様です。彼の名前の意味は『天地が豊かに賑わう神』です。この神様の陵墓の場所は、次の3か所のいずれかとされています。しかし、陵墓の場所は断定できないため、それは陵墓参考地(りょうぼさんこうち)とされています。1 鹿児島県薩摩川内市2 宮崎県延岡市北川町3 宮崎県西都原古墳群の男狭穂塚はニニギノミコト、女狭穂塚は后のコノハナサクヤヒメです。ニニギノミコトの陵墓の場所については、日本書紀(720年)の記述によって推測されています。『久之、天津彦彦火瓊瓊杵尊崩、因葬筑紫日向可愛此云埃之山陵。』とあります。つまり、ニニギノミコトは筑紫の日向の可愛の山(えのやま)の陵に葬られたとされています。しかしながら、日向国は昔、広域にわたっており、宮崎県や鹿児島県の一部も含まれていました。このため、1792年に薩摩藩の国学者である白尾國柱が『神代山陵考』において、可愛山稜は薩摩国水引郷新田村にあると主張しました。明治新政府が成立すると、明治維新で活躍した薩摩藩の意向を反映し、1874年に鹿児島県薩摩川内市にニニギノミコトの陵墓があるとの見解が示されました。しかしながら、この場所には可愛山陵が存在せず、宮崎県が異議を唱え、1926年に延岡市北川町の可愛山陵の場所も陵墓参考地とされることになりました。ところで、日向国は702年8月1日に起こった薩摩らの叛乱を契機に、現在の鹿児島県本土の西部(鹿児島県薩摩川内市含む)が、10月3日までに唱更国(はやひとのこく)(704年には薩摩国に改称)に分立したことを付け加えておきます。また、西都原にあるという説は1825年、兒玉實満が記した『笠狭大略記』によるものです。
色々と諸説有りますが、最有力とされるニニギノミコトの陵墓候補です。ここなんですかね?
神聖なる地かな。ここがあったから西郷どんが最後の宿営地に選んだとか選んでないとか。
北川陵墓天照大御神瓊瓊杵尊神々が宿る場所でした。
| 名前 |
ニニギノミコト御陵墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
075-601-1863 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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GWに行ってきました。小さな陵墓ですが天孫降臨神話の参考地ということで何か惹かれるものがありました、周りは質素ですがそこがまた良い風情を出して良かったと思います。