微笑む童子と歴史の面影。
犬飼石仏の特徴
平安時代末期から鎌倉時代初期の石仏を間近で体験できます。
駐車場は踏切を過ぎた先に位置し、車での訪問が便利です。
奥地に隠れた歴史的スポット、訪れる価値が大いにあります。
不動明王に寄り添う童子が微笑ましいです。狭い道を抜けると駐車スペースもあります。
2023/12近くの菅尾磨崖仏もいいけど、こちらも素敵だわまるで犬を飼っている石像のごとし存在感だわ。想像してたスケールと遥かに違ってて、意外と感動しました。ここは、また来たいくらい好き。広角レンズじゃないと、このダイナミック感は伝わらないだろう。
平安時代後期から鎌倉時代の磨崖仏です。国の史跡(1924年1月22日指定)に指定されています。中央に不動明王坐像、向かって右には矜羯羅(こんがら)童子の立像、左には制吁迦(せいたか)童子の立像が約9万年前の阿蘇火砕流の溶結凝灰岩に彫られています。不動明王は高さ3.76m、半肉彫りで両眼を見開いて右手には利剣を、左手は上に屈し羂索(けんさく)を持ち、両足の裏を外に向けて結跏趺坐(けっかふざ)しています。矜羯羅童子は、高さ1.7mで合掌しています。制吁迦童子は高さ1.73mで金剛棒を手にしています。石仏の前には不動堂と呼ばれる木造の礼堂があり、向かって右側の岩壁には30cmほどの五輪塔16基が安置され、左側には板碑、宝篋印塔(ほうきょいんとう)などがあり、不動堂上の岩壁には横書きで「龍傳山」の大文字、右側の岩壁には「南無大師遍照金剛」の八大文字が刻まれています。像は朱色の彩色の痕跡をとどめています。黒い石の上に重なる厚い岩の層が約9万年前の阿蘇の4回目の火砕流による溶結凝灰岩です。
石仏の下に駐車スペースありますが、ここに至る道が意外と狭かったので、大型車ですと難儀しそうです。訪れたときは石仏を覆う屋根を作っていたのか、工事中でした。ただ、石仏自体は見ることができます。石仏の保存は比較的良好で、顔は判別できました。
行くまでの道が細いので注意駐車場の場所がわからなかった。
階段は、緑の苔がびっしり。道も狭くミニバン行けるかどうか?駐車場ありません。近くに休憩場があるので停めて歩いた方が良いと思います。磨崖仏と六字名号?字が違いましたが立派な文字。詳しい方は教えて下さい😄
昔の人は凄いですね。見る価値有ります。
なかなか人目につかない奥地にあります。神秘的て素晴らしいです。
踏切(入口)を少し先に、行くと駐車場が有ります(トイレ有り)、多分石仏の駐車場と思います。車で直接行けますが、道幅が狭いのと生活道路と兼ねてますから、気を付けて下さい。石仏入口に1,2台置ける幅が有りますが、あくまで入口なので、気を付けて下さい。不動明王は迫力です。
| 名前 |
犬飼石仏 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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凄いものがあります。臼杵石仏を見てからも凄いと感じれるのはここの石仏さんたちも国指定史跡というだけはある技術力の高さと背面にある巧みな字の大きな石彫りがされているからだと思います。▷▶▷岩壁には龍傳山という文字と南無大師遍照金剛という力強い文字が綺麗に彫られています。この事から山の上の方にかつてはお寺があったことがうかがえます。┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈観光サイトより……⇒犬飼石仏~歌人も訪れた温和な不動明王~犬飼石仏は、約9万年前の阿蘇火砕流の溶結凝灰岩に彫られた磨崖仏で、像の形式から鎌倉時代に作られたと推定されています。中央に不動明王坐像を彫り、その左右に制多迦童子と矜羯羅童子を従えさせています。丸い顔に加え豊かな体躯であることから柔和な印象を得る不動明王で、凝灰岩の岩肌とあいまって穏やかな気持ちになれる磨崖仏です。歌人の与謝野晶子がこの地を訪れ、詠んだ短歌の歌碑もあります。- - - - - - - - - - - - - - - - -周辺あまり道がよくありません。とても狭いので気をつけて下さい。駐車場と思わしきところから弁財天と記載されていましたが、情報など定かではなく。距離が明確に分かりませんでした。あることは確かですが、道が荒れており諦めました。そちらの弁財天は下から行けるような感じで地図にありますが下からは全く行ける気配がありませんでした。一部、この周辺の石仏さん達の写真も載せていますが散策によるものなので場所などの記載は致しません。この周辺、散策に行くにしても大変厳しい道でしたので、やめておいた方がいいと思います。- - - - - - - - - - - - - - - - - ✄少ししか関係ありませんが、この周辺は……奥豊後大野川流域28カ所古寺摩崖仏不動尊霊場という霊場があり。昔から六郷満山と並ぶ霊場が存在していたそうです。