将軍も帰った歴史の舞台。
将軍お上がり場の特徴
幕末に将軍が帰還した歴史深い場所である。
ここは江戸時代の船着場で、舟を利用していた記録がある。
15代慶喜が大坂から戻った際のエピソードが伝わるスポット。
歴史好きとしては、最後の将軍徳川慶喜が上陸した場所なので、色々思う事があります✨
11代将軍 徳川家治の頃から隅田川で船で遊覧した後に浜離宮に立ち寄ったり、江戸城から船で浜御殿へ来た時に、この場所は船から上陸した場所です。しかしながら、長州征伐の最中に亡くなった14代将軍 家茂はその亡骸が、鳥羽伏見の戦いの敗れて大阪城から逃げ帰るように江戸に戻った15代蜀軍 徳川慶喜が、この「お上がり場」に上陸したと言われています。
現在でも船が行き来する東京湾に面した場所で、言われなければ将軍様が乗降する場所とは分かりませんでした。将軍お上がり場江戸時代、歴代将軍が舟で御成りする際にこのお上がり場が使用されました。幕末、鳥羽伏見の戦いに敗れた最後の将軍 徳川慶喜が大阪から船で帰還して上陸した歴史もあります。Shogun Agariba (Shogun's Landing Place)In the Edo period, this spot was used by successive shoguns when leaving and returning to the residence by boat.
将軍は舟から歩いて段を上ったのでしょうか? それとも、駕籠に乗ったまま?
幕末、鳥羽伏見の戦いで敗れた将軍が帰還して上陸した歴史もあります。
将軍大上り場。説明文には『江戸時代、歴代将軍が舟で御成りする際にこのお上がり場が使用されました。幕末、 鳥羽伏見の戦いに敗れた最後の将軍徳川慶喜が大坂から船で帰還して上陸した歴史もあり ます。』と書かれています。
鳥羽伏見の戦いに敗れ、大坂から軍艦開陽丸で江戸に逃げ落ちる際にも、ここから江戸城へ入ったとのことです。
江戸時代に浜御所と呼ばれていた時代に海から船で来た場合は、ここから入られたそうです。
江戸時代の将軍が舟を利用の際使っていたお上がり場らしいです。
| 名前 |
将軍お上がり場 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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江戸時代、江戸城から船でお成りの時、将軍の船が発着した場所。江戸時代は、すぐ近くにもうひとつの石段があり、そこが、家臣たちが上陸する場所で「御付お上り場」と呼ばれていました。この「御付のお上り場」は、1949年(昭和24年)のキティ台風で階段の一部が崩れて海中に沈みました。干潮の時には、その「御付のお上り場」の痕跡をみることができます。将軍お上り場は、13代将軍家定までは、浜御殿で遊覧するための楽しい上陸地点でしたが、14代将軍家茂と15代将軍慶喜にとっては悲しみの上陸地点でもありました。14代将軍家茂は、3回上洛しました。最後の上洛の際、1866年(慶応2年)7月20日、家茂は長州征伐の最中大阪城で死亡します。この3回目の江戸への帰還は、亡骸となって上陸しました。15代将軍慶喜は、鳥羽伏見の戦いで敗れ、大阪城からごく少数の人たちと軍艦開陽丸で江戸に逃げ帰ります。1868年(慶応4年)1月12日午前に上陸しました。