豊後国分寺跡で古代ロマン体験。
豊後国分寺跡の特徴
大分市国分の静かな歴史を感じる貴重な場所です。
整備が行き届いた自然の中で心が落ち着くスポットです。
散歩や運動に適した広々とした環境が魅力的です。
豊後国分寺の食堂跡。国分寺とは、西暦741年聖武天皇の詔により、各国に作られた寺である。詔によれば、当初は僧二十が充てられたようだが、実際には何人の僧がいたのかは分からないが、規模からすれば20人前後といったところだろうか。一度建て替えを行った跡が残っており、新しい建物の方が一回り小さくなっていることから、国分寺完成直後が最盛期で、その後は次第に衰微していったものと思われる。建物が残ってなかったため、公園として綺麗に整備されている。なまじ建物が残っていたために、整備・管理が難しかったのか、放置に任せて清掃もされていない金堂跡や七重の塔跡に比べれば手厚い扱いである。
天平13年(741)に聖武天皇の勅令(国分寺建立の詔)により石川民部某が藤原智泉とともに僧寺・尼寺を建て、のちに行基を開基としたと伝えられています。『続日本紀』天平勝宝8年(756)には、豊後国を含む26か国の国分寺に灌頂幡などが下賜されたと記載されています。出土瓦からみても、この時期に寺はほぼ完成していたと推定されています。創建当初の伽藍を中世まである程度保持していた国分寺は全64寺のうち14寺にすぎないが、豊後国分寺はその1つに数えられています。発掘調査の結果、寺域は東西183m、南北300mでした。中門、金堂、講堂、食堂(じきどう)が南北に並び、金堂の南西に七重塔が位置する大官大寺形式の伽藍を有していたことが判明しました。現在、講堂跡と食堂跡は基壇が整備されています。約3.3haが整備されて豊後国分寺跡史跡公園になっています。豊後国分尼寺に関しては、所在は現在明らかになっていません。国分寺跡から北西部の地域には4棟の掘立柱建物跡があります。ここからは「尼□ 尼寺 天長九」と書かれた土器が発掘されました。このことから、尼寺の位置は不明ですが、天長9年(832)に尼寺が存在したことは証明されています。
朝運動のため資料館の周りを歩いてます。静かで暑い日は影があり良いところです。四季折々を楽しめます。
こじんまりした寺院。敷地は広い。塔跡にある観音さまは、1000年位前のらしいが国指定はされて無い。金堂に御神籤有るがよく当たるのが面白い。
豊後国分寺:大分県大分市国分JR豊後国分駅の東約200mにあるがあまり知られていないので「大分市歴史資料館」或いは「豊後国分寺跡・史跡公園」を目標にして行くこと。きれいに整備された「ビックリするほど」広大な境内(史跡公園)には、講堂や塔跡の礎石が残されている。今は、国分尼寺跡の所在は確認されていない。しかし、国分寺領外の北西部地域から4棟の建物跡が見つかっており、この建物跡から発掘された土器の内・3点に「尼寺」と記されていた。・・豊後国分尼寺跡である可能性が高いと思います。
手を入れすぎない感じの自然な感じがとても落ち着きました。花が少々、草花が少々。大木もあり、のどかな雰囲気で平安時代を想像しました。
令和2年6月28日参拝とても静かで大分周りより涼しく感じます。
🐕️の散歩に最高です。
1回行ってましたが自然と歴史を感じる建造物があります。
名前 |
豊後国分寺跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
097-537-5639 |
住所 |
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HP |
https://www.city.oita.oita.jp/bunkasports/rekishi/shiryokan/index.html |
評価 |
4.3 |
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国分寺建立の詔により豊後国にも当地に国分寺が建立されました。類を見ない高さの七重塔があったとされ、現在は跡地に観音堂がありました。綺麗に整備された公園と歴史ある跡地が同居する空間でした。