江戸名所図会に刻む古墳の謂。
首塚古墳の特徴
新田義貞が戦った地として有名な史跡です。
江戸名所図会にも名前が記載されている場所です。
歴史的な背景を感じることができる空間です。
住宅地の間にある小さな稲荷社です。看板や説明は一切ありません。ここが古墳なのか、何の古墳なのか、ここへ行っても何もわかりません(ネットにはいくつか情報あり)。柵もなく、雑草が生い茂るまま。一応「史跡」とするなら、もう少し保存を考えて欲しいです。
「江戸名所図会」の「分倍河原」の項『正慶二年の夏 新田義貞朝臣 鎌倉勢と合戦ありし地にして 其時討死せし人の墓あり 土人 首塚 胴塚など称へて今猶此処の田間に存す』と書かれています。出典 : 府中市立ふるさと府中歴史館に「江戸名所図会」の「分倍河原」の項の拡大レプリカが展示されていますので是非御覧になって下さいませ。
お稲荷さんがあります。雑草いっぱい。
名前 |
首塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
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もう見た目ほとんど古墳ではないのだけれども、古墳です(`・ω・´)赤い鳥居だからお稲荷様が祀られているのかなあ?でも祠の後ろには弁財天の石碑が建っているのでよくわかりません。ともあれ、こうやってなんだかんだ遺されているのはありがたい。