本尊不動明王とともに。
日王山長仙寺 山門の特徴
真言宗豊山派に属する長仙寺本尊の不動明王号が魅力です。
享保6年に没した住僧真秀の歴史が感じられる寺院です。
宝永元年に創建された伝統ある寺院で見応えがあります。
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名前 |
日王山長仙寺 山門 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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真言宗豊山派長仙寺本尊 不動明王号 日王山阿遮院中野宝仙院の住僧真秀(享保6年1721没)が宝永元年(1704)当地に創建。日王山阿遮院長仙寺は、真言宗豊山派の寺で不動明王を本尊としています。 寺伝によると、宝永元年(1704)、中野宝仙寺の住僧であった真秀(享保6年1721没)が、この地に一庵を建て、日王山阿遮院と号したのが開創といわれます。その後、寺容も整い長仙寺と称してきましたが、寛政8年(1796)本堂を焼失し、五十余年を経て嘉永3年(1850)、明情和尚の代に再建されました。昭和になり、高円寺町の発展とともに寺勢再興し、昭和10年本堂を新築しましたが、同20年4月戦災のため惜しくも堂宇を全焼しました。現在の本堂(寝殿造り)は、昭和44年に建立されたものです。本尊の不動明王像は「新編武蔵風土記稿」に「本尊不動にて長1尺8寸の立像を安す」と記されているように、木像55センチメートル程の立像で、室町時代の作といわれています。境内に安置されている如意輪観音の石仏は、享保9年(1724)の造立で、裏に「高円寺村観音講中同行男女百人」という銘文が刻まれています。観音様がほほを押え、いかにも歯が痛むようなお姿をしているので、誰いうともなく歯が痛むときお参りすれば、痛みを代わって受けてくださるとして近在の信仰をあつくし、人々から親しまれました。(杉並区教育委員会掲示より)新編武蔵風土記稿による長仙寺の縁起(高円寺村)長仙寺除地、三段八畝十歩、高円寺より二三町も西の方にあり。日王山阿遮院と号す。新義真言宗にて、郡中中野村宝仙寺末。本堂は寛政八年祝融の災に罹りて、今は三間四方の仮屋なり。本尊不動にて長一尺八寸の立像を安す。開山詳ならず、住僧歴代の中に永正と云あり。碑碣最も古く見れば、是開山なるか。開基は村民武兵衛といふ者の先祖なるよし、其年歴法諡を傳へず。位牌の中正保五年など云あれば、これより以前開けし寺なることは勿論なり。(新編武蔵風土記稿より)