口之津で巡る南蛮船の歴史。
南蛮船来航の地の特徴
日本で最初に外国船が来航した歴史的な地帯です。
開田公園の隅にある石碑が印象的なスポットです。
昔々、ポルトガル語が話されていた不思議な場所。
アルメイダによる布教の開始:1563年、ルイス・デ・アルメイダによって島原地域への布教が開始されました。その最初の地が口之津でした。ポルトガル船の入港:1565年、最初のポルトガル船が口之津港に入港しました。
口之津港の海岸線から直線で400m位内陸に入った所にある。口之津開田[ひらきだ]公園の一角にある。駐車場やトイレは完備されている。史跡としては石碑や説明板が設置されていて、開田公園には中世ヨーロッパの街並みをイメージした建物が建つ。開田公園の中程に立ち、海側を望むと確かに昔は湾だったような窪みを感じる。さて、日本に初めて南蛮船が来航(漂着)したのは、ご存知の通り天文十二(1543)年種子島へのポルトガル船漂着である。その後、天文十八(1549)年ザビエルが薩摩に来て島津貴久と一宇治城内で会見した。豊後の大友宗麟も天文二十(1551)年ザビエルと豊後府内で会見し交易を盛んにした。肥前では平戸が天文十九(1550)年に開港、その後横瀬浦が永禄五(1562)年開港したが、ここを翌年反大村純忠勢力が焼き払ったため、永禄八(1565)年福田へ港を移した。しかし、福田は良港ではなかったのである。そこで、いよいよ、永禄十(1567)年に口之津港が開港となる。最初は三隻のポルトガル船が来航したのであるが、その後は中国や他の国の商人も集まる賑やかな港となった。元亀二(1571)年には福田港に替わり長崎港が開港し栄えたが、天正七(1579)年にヴァリニャーノ(天正遣欧少年使節を派遣)が上陸したのは口之津港であった。《2023.7.19訪問》
現在は陸地。のどかな所ですが、昔はここが世界とつながっていたんだなと思うと、時の流れを感じ、不思議な気持ちになります。外国風の公園、開田公園のそばにあります。
遠くまで来たが、寂れ感が強く期待外れ。説明看板欲しい。今後の整備を期待。
跡だけだが、日本では長崎より早く外国船が来航の地。
楽しいです😆🎵🎵
こんな所で昔々にポルトガル語が話されていたとは。不思議さに心が踊りました。
昔の泥炭地(海水)が水没公園となり、現在波止場の痕跡はわかりにくいです。
開田公園の隅の一角に石碑が建っています。
名前 |
南蛮船来航の地 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0957-65-6333 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.7 |
周辺のオススメ

口之津にも南蛮船が来航したのですね 。知りませんでした。この案内板に書いてるように。私の故郷は西海市 横瀬浦です。歴史にもしもがあったらここが今の長崎と言われています。長崎にある思案橋 丸山 上町 下町 跡が史跡として残っております。