歴史の息吹感じる!
日野江城跡の特徴
狭い道を抜けて訪れる日野江城跡は、歴史的価値が高い場所です。
有馬晴信の居城として知られ、キリシタンの歴史に深く関わるスポットです。
整備が行き届いていない自然のままの城跡が、不思議な魅力を放っています。
一応観光名所となっており、看板や駐車場もありますが。ほぼ自然に飲み込まれているので、上級者向けのスポットです。本丸跡地までは、木が茂っており行けるのか行かないのか判断がつきませんでした。個人の畑もあるので、柵はありますが誤って侵入しないように注意です。鎌倉時代に築城され、戦国時代のキリシタン大名であった有馬晴信の居城(一般社団法人 島原半島観光連盟ホームページ様より引用)だったそうです。13代有馬晴信の頃の城下では、有馬のセミナリヨなどが建設され日本で一番キリシタン文化が発展し、当時の国際交流では、日本の最先端地の一つを形成していました。(一般社団法人 島原半島観光連盟ホームページ様より引用)とありましたが、今は周囲ほとんどが田んぼや畑となっており、弾圧があって今は残っていないのかもしれません。
日野江城の東側にある駐車場から、登城を試みました。セメントの階段を登った先に、すぐに織豊期と推定される石垣が見えてきます。その左側には、今は埋め戻されていますが、直線状の階段遺構があります。東側に張り出すように石垣が伸びていますが、草に包まれているのが惜しい。山上にある主郭に向けて歩を進めましたが、途中で崩落箇所があり、危険を感じて、一旦下山しました。改めて、西側から、車で主郭近くまで行き、駐車場に停めて、歩きましたが、無断立ち入りを予防するためか、木戸があり、針金で固定されているため、それ以上、先へ進めませんでした。せっかく、南島原市を代表する貴重な中世から織豊期の史跡ですから、見学者のためにももう少し、整備を進めてほしいと思いました。
有馬セミナリヨ跡を見学し、こちらへ廻り込んで来た。大手口から登城することを旨としているので、車は城跡の東側山麓の大きな通り沿いの分かり易い駐車場へ停めた。駐車場の所に大手登城口があるので迷わず登り始められるが、整備された階段の途中左側に、二の丸を見学するための出入口があるので要注意である。網の扉が閉まっていて、進入禁止みたいで分かり辛い。私は通り過ぎてしまった。帰りに気づいて見学できたので良かったが・・・。そのまま通り過ぎても二の丸の上部の階段遺構は見学できるので、二の丸を見学した気になる人も多いのではないだろうか。ただ、階段遺構は現在埋め戻されている。城全体は、本丸、二の丸、三の丸、それと三の丸の北に位置する北の丸から成る、梯郭式の縄張りである。そして各郭は高低差のあるまた幾つかの郭から構成されている。中々手の込んだ造りである。二の丸までは道も分かり易かったが、本丸への入口は草が生い茂っていて分かり辛かった。本丸郭群も頂上の郭以外は草が生い茂っていて、見学し辛かった。しかし、古城という趣はあり、草茫々は見学拒否までには至らなかった。(但し、さすが三の丸と北の丸は見学拒否してしまった。)さて、日野江城であるが、有馬氏の居城で、築城は現地の二つの案内板で、建保四(1216)年頃との説明と、14世紀の南北朝時代との説明があり、異なっている。ま~中世の山城(この城は正確には平山城であるが)なんて、いつ出来たかなんて良く分からない。後世に文献に出てきたとき、或いは年代を確定できる遺物が出てきたとき、その時代には城はあったということである。しかし、いずれにしても日野江城は300年から400年に渡って有馬氏の居城であったのである。その間幾度となく拡張、修築を繰り返し、現在城跡として残るような大きな城郭となったのであろう。有馬氏の本城というに相応しいと思う。有馬晴信は原城を新たに築城したが、この原城が相当大規模な縄張りであるのも、日野江城から居城を移すことを考えていたならば当然だろう。原城跡は島原・天草一揆の主な戦闘の舞台となったので有名で、多くの人から注目されている。しかし、有馬氏にとって原城は支城であり、有馬氏の歴史的出来事からはあまり関係がない。有馬氏の本城はこの日野江城であり、キリスト教の保護政策のもと南蛮文化が栄えたのもこの日野江城下でのことである。また、有馬晴信が龍造寺隆信の侵攻にさらされ、島津氏に支援を求めた時、援軍を率い渡海した島津家久(島津貴久の四男で、義久、義弘、歳久とは異母弟。この時の沖田畷の決戦で、龍造寺隆信を討死に追い込んだ。)が入城したのもこの日野江城である。日野江城は長い間有馬氏の歴史の中心の拠点であった。そういった視点で、日野江城、日野江城下を巡ると、また何か新しい感慨が得られるかもしれない。《2023.7.21訪問》
城跡までの狭い道は車のすれ違いができないので冷や汗でした。防獣フェンス内に入ってすぐ左が主な登城路らしいですが、草が生えていて見落としました。ひとつ上の曲輪に登ってみましたが、草が多すぎて進むことを断念、来た道を戻ってから入口に気づき、無事登城できました。原城跡と同じくらい貴重な城跡なので、手入れしていただけると嬉しいですね。次回は冬に来ます😅
世界遺産である「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」からは世界遺産選定段階で除外されてしまったという過去を持ちますが、キリシタン大名であった有馬晴信の居城であり、城下の有馬セミナリヨで学んだ少年たちが天正遣欧使節としてヨーロッパに渡ったことを考えれば歴史的な価値が高い資産であることは間違いありません。しかしながら世界遺産に登録された原城址と比較するとまったく整備されていないと思いました。農道に奥に小さな駐車場があり、山の奥に小さな広場があり看板が設置されているだけです。訪問時、欧米人の男性方がいらっしゃいました。おそらく神父さんであったように思います。ぜひ地元の教育委員会等でもう少し整備をしてもらえるといいのではないかと感じました。
日野江城へ向かってミドルクラスのワゴン車で行きましたが、道幅が狭いので同乗者がビビってしまうぐらいの道という事を頭においといて下さい。ちなみに行ったばかりですが、蜂のブーンブーンという警戒する羽音にビビって上まで行くのを断念しました。夏から秋にかけて蜂の襲撃に気をつけて下さい!
看板と階段があるだけの素気ない遺跡ですが、一度は訪れて頂きたい要所です。浦口からも訪れましたが、道幅がとても狭いのでお勧めできません。個人的には大きなパワーをいただきました。例の階段を発掘しておきながら写真だけで終わってしまったのがマイナス評価です。
有馬氏の居城を堪能しました。桜が奇麗に咲き誇り、見ごたえ十分。ところどころに残る石垣が何とも言えない。
4月に訪れたのですが雑草が伸び放題でした。草を刈れば石垣や曲輪が良く残っているので素晴らしいと思うのですが。日本一勿体ない城です。
名前 |
日野江城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0957-73-6705 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.6 |
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興味があり、行ってみましたが、正直行く価値は…城好きとはいえ、ほぼただの野原でした…長崎県もここを観光客向けに見せるつもりはないようです。