歴史を感じる氏神様の里。
旭神社の特徴
地元の氏神様として、地域に根ざした存在です。
蛇ねじりと呼ばれるしめ繩の奉納行事が伝わっています。
旧・新田村の村社で、2つの鳥居が特徴的な神社です。
小さい頃にここの近所に住んでいて、父親とよく散歩がてらにお参りした記憶があります。鳥居をくぐるといつもウキウキしながら神様にお賽銭して祈ると気持ちが晴れやかになってました。今は隣の市に引っ越してしまってなかなか行かなくなってしまいましたが、また近いうちにお参りに行こうと思います。
地元の氏神様として親しまれている神社です。以下は「埼玉の神社」より旭神社(金右衛門新田字中取出)かつての新田村の北岸に沿って流れる綾瀬川・古綾瀬川は、古代・中世の荒川本流の跡で、往時の足立郡と埼玉郡の郡境となっていた。この辺りは、荒川・綾瀬川の乱流地帯であったため低地が広がり、東部の古綾瀬川沿いの自然堤防にある槐戸・中曾根・篠葉の各村は、中世から開発されていたが、大半はあまり利用されない土地であった。しかし、慶長年間(一五九六-一六一五)に代官頭伊奈備前守忠次が、上流の小針領家(桶川市)に備前堤を築いたことにより、新田開発が進められ、慶長年間に清右衛門新田、元和年間(一六一五-二四)に長右衛門新田が開かれた。更に、寛永五年(一六二八)に関東郡代伊奈半十郎忠治の家来井出伝右衛門による排水路(伝右衛門堀)の開削と、同七年(一六三〇)の伊奈忠治による綾瀬川改修・新綾瀬川開削によって、九左衛門新田・新兵衛新田・金右衛門新田・善兵衛新田が相次いで開かれ、こうして氏子区域すべての村々が成立した。これらの村々には、それぞれに神社が祀られていたが、当社の元となったのは、金右衛門新田の鎮守であった氷川社である。明治二十二年に、この九か村を合併して新田村が成立したため、政府の合祀政策下では当社を新田村の村社とすることになり、同四十年に村内の旧村ごとの村社七社、無格社一八社、各境内社一一社の計三六社を当社に合祀し、社号を氷川社から旭神社と改称した。
出前館配達員のオイラ😅お届けで通りかかって気になって駅方面に戻る途中でふらっと立ち寄ってみました。夜の神社はちょっと怖いねぇ😂お参りついでに写真を撮ろうと思ったんだけど、帰宅途中のサラリーマン風の人が参道に入って行ったのでバイクを停めてちょっと待ちます。鳥居の所からお参りする後ろ姿を確認したんだけど、気付いたらいつの間にかいなくなってるんだけど😳こっちに戻って来たら、かち合うはずなんだけどねぇ・・・。社殿の裏に抜ける道でもあるのか、神社の関係者なのか、気分転換か趣味でこっそりとホームレス気分になって寝泊まりしに来てる人なのか?🤔まるでキツネにつままれた気分のオイラ。なんか腹減ったし紀文のおでんでも食いたい気分ですよぉ🤣
小学生の頃の夏休みの宿題の写生はいつもココに来ていました。今は桜の季節に立ち寄ります。氏子さんたちの手によって、きれいに整備されています。
氏神様です。よく立ち寄っています。願いが叶いますように。
毎週末お詣りしています。
両親が以前近くに住んでいたのですが、今でも利用しています。
地元の神社です。いつもきれいにされています。毎年年末年始や散歩の際には近所の人がお参りにきます。隣に広場がありみんなが元気に遊んでますよ。
毎年10月に豊作を祈願して氏子が「蛇ねじり」という蛇形のしめ繩を作り、鳥居に奉納しています。また、江戸時代から数学者が算数の問題や解法を記して神社に奉納した算額と呼ばれる特別な絵馬が市内で唯一残されているそうです。近くの畑では、草加名産のクワイが栽培されています。神社の裏手の綾瀬川沿いは桜🌸の名所になっています。
| 名前 |
旭神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
048-935-1345 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
画像が反映されません。サクッと更新させてください。イライラします。当地周辺が新田開発された時(江戸時代初期)、金右衛門新田の鎮守として創建したといいます。現在の金明町です。新田の改修・開削により、九左衛門新田、新兵衛新田、金右衛門新田、善兵衛新田が開かれ村が成立しました。これらの村々にはそれぞれに神社が祀られていましたが、政府の合祀政策により、36社が当社に合祀しました。見た限りでは八百万の神が祀られていると思います。境内が公園を含むならかなり大きな無人の神社です。すぐ裏は綾瀬川が流れています。