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名前 |
万葉歌碑(巻4-543)⑪ |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
神亀元年(724年)10月5日、聖武天皇は紀伊の国に行幸された。その時、笠金村がある娘子に頼まれて、天皇のお伴をした彼女の夫のために作った長歌がある。大君(おおきみ)の 行幸(みゆき)のまにま もののふの 八十伴(やそとも)の男(お)と 出(い)でて行(ゆ)きし 愛(うるわ)し夫(づま)は 天飛(あまと)ぶや 軽(かる)の道(みち)より 玉だすき 畝傍(うねび)を見つつ あさもよし 紀伊路(きじ)に入り立ち 真土山(まつちやま)越ゆらむ君は 黄葉(もみじば)の散(ち)り飛ぶ見つつ にきびにし我(われ)は思はず 草枕(くさまくら) 旅をよろしと 思ひつつ君はあるらむと あそそには かつは知れども しかすがに 黙(もだ)もえあらねば我(わ)が背子(せこ)が 行(ゆ)きのまにまに 追はむとは 千度(ちたび)思へど たわやめの我(あ)が身にしあれば 道守(みちもり)の 問はむ答へを 言ひ遣(や)らむ すべを知らにと 立ちてつまづく《万葉集 巻4-543/笠朝臣金村》しかしここにはこの万葉歌碑はなく、一つ西の山の頂上、慈願寺の近くに移設されたのかも。この真土山で確認できる歌碑は画像の通りです。一枚目が、ポイントされている場所。二枚目が、実際の歌碑で、移設後?のものです。