歴史を感じる田原坂の慰霊碑。
西南役戦没者慰霊之碑の特徴
西南戦争の官軍と薩軍の戦没者を祀った慰霊碑です。
美しい景色が広がる田原坂公園に位置しています。
歴史を感じることができ、散策に最適な場所です。
2024年8月 訪問地元の植木町として、西南戦争で亡くなられた方々の慰霊のために建立されたものです。素晴らしい慰霊の啤です。以下、説明文より西南の役戦没者慰霊之碑この慰霊碑は、明治十年(一八七七)の西南の役で戦死された官軍六九二三名、薩軍七一八六名、殉難者二九名の御霊の安らかならんことを願って建立したものです。西南の役は、明治維新における新政府の施策をめぐる相反した意見の対立が膨らみ、ついに国内史上最大最後の内乱、西南戦争勃発に至ったのであります。国の安室と民族の発展を希求して止まなかった前途有為な青年たちが、立場こそ官薩両軍に別かれて熾烈な戦いを行いましたが、国を憂う志士たちの熱は異なるところはなく、骨肉相喰む悲劇という外はありません。植木町では、ここ激戦の地、田原坂に全戦没者の御霊を慰霊し崇高な精神文化の遺産を継承し町づくりの象徴とするため、碑の建立を行い、先人と共に顕彰に努めております。戦没者名薄の編さんに当たっては資料収集に東森西走、懸命の努力をもって掘りおこしに臨んだものの、必ずしも完全なものとはいえません。戦没から百二十年の歳月は多くのことを遠くにし、資料の不鮮明さや氏名不詳で判明できず、同音異語なども含めご理解をいただきたいと存じます。この名薄編さんには、後記の資料と、ご協力いただいた関係各位、とりわけ地元歴史家「中村稲男」氏の献身的なご努力に基するところが大きく、感謝するところであります。今後とも不明者への慰霊の念を絶やさず継続して調査を行い完了をめざす所存であります。お気づきの点がございましたらご遠慮なくお申し出ください。資料提供〈記》官軍については、「靖国神社忠魂史」を転記。薩軍については、「西南の役戦没者名簿」(南洲神社社務所編)「熊本県史料」(薩賊死姓名ーII)「熊本県史料」(熊本県下河尻埋葬名録)「熊本県史料」(熊本県下埋葬人夫名録)「薩南血涙史」(加治木常横編)「丁丑感旧録」(宇野東風編)「協同隊士の研究」(寺田正一編)「敬天愛人」(西鄉南洲頭彰会編)「隊名姓名録」(冷寺・本山)「薩軍戦没者名簿」(延寿寺・川尻)等を参考平成八年三月(一九九六年)植木町。
西南の役の激戦地に建立されている慰霊碑です。官軍と薩軍が合わせて氏名が書かれています。
戊辰戦争の際の激戦地という事です。銃弾の跡が生々しく残る蔵が建ってる以外は牧歌的な景色が続いています。
官軍で亡くなられた方たち、全国から徴兵されたのですね。石碑に県別に一人ひとり刻まれています。🙏
西南戦争に思いを馳せる。この場所で熾烈な戦闘が行われたとは思えないくらいのどかな場所。
やはり本やネットで文章や写真を見るだけでなく、その場所に行って感じてみるのは大事だと思いました。
コロナ蔓延防止期間は資料館が臨時休館となっています。
勉強になります。今日はあいにくの天気でした。天気が良いときにまた訪れたいです。
官軍に九州で宮崎出身者のなまえがなかった。薩軍にはありました。
| 名前 |
西南役戦没者慰霊之碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
https://seinan357.blogspot.com/2019/01/blog-post_59.html?m=1 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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西南戦争慰霊碑です。現地を訪問し、その大きさに驚きました。背景には戦没者名が記載されています。