歴史を感じる玉名大神宮。
玉名大神宮の特徴
玉名大神宮は景行天皇ゆかりの地で、歴史を感じる神社です。
参拝の際には、懐かしい昭和の雰囲気を楽しめるブランコがあります。
『玉依姫』の供養塚があり、特別な信仰が寄せられるスポットです。
玉名市の新幹線新玉名駅の先にある神社で、玉名の地名の由来になった場所です道沿いにある大きな鳥居を上がると楼門、本殿を見る事が出来ます本殿の他に玉依姫をお祀りした場所もありました祭神は天照大神 景行天皇 阿蘇十二神で静かな雰囲気の神社です⛩御朱印もありますが、敷地内の社務所は閉まっており裏手にある神主さんのご自宅で頂く事が出来ます。要電話📞
駐車場がわからない神社の前のスペースが広くてそこにとめて、参拝させて頂きました。
景行天皇や土蜘蛛の関連施設。日本書紀によると、天皇に従わない勢力(土蜘蛛と呼ばれた)である津頰(つづら)がこの地におり、景行天皇に討たれたそうだ。以前はこの辺が玉名(日本書紀では玉杵名)の中心地だったようだ。ここより南の菊池川沿いの平地は大半が海で江田船山古墳辺りまでは海水が来ていた。この周辺の古墳も当時は海沿いに作られたのではないだろうか?景行天皇に討たれたとされる土蜘蛛の津頰(つづら)は津々浦氏としてこの地に残ったとする資料もあるが定かではない。たしかに津々浦姓は日本でも玉名周辺が半数を占めているようだ。別名が筒ガ岳である小岱山とも関係があると思われる。また玉名大神宮の由緒書き看板には「景行天皇が天照大神を祀って拝み、お祈りをすると、玉のような小石が落下して土蜘蛛津頬を退治しました」とあるが、山鹿の彦嶽にも津頬討伐の伝承がある(こちらは景行天皇が祈願したら津頬が陣を敷いていた山が大きく震え無事討伐できたというもの)。玉名大神宮も彦嶽宮も菊池氏初代 則隆が再興に関わっているので何かしら景行天皇伝承への介入があったのかもしれない。則隆が玉名に進出してきた際は梅林天満宮・高瀬天満宮・河崎天満宮を勧請・移築しており梅林天満宮周辺が安楽寺領となっているので菊池川沿いのこの一帯に進出してきたと考えられる。景行天皇はこの時 疋野神社を鎮祭したとされるが、疋野神社は平安時代辺りまでこの地を支配した日置氏の氏神である。津頰の後この地の支配者として日置氏が派遣され江田船山古墳を初めとする玉名一帯の古墳が作られた、と考えることもできるのかもしれない。それまで郡司として玉名を治めていた日置氏は菊池氏の進出に合わせて滅んだようなのでそういった形で移っていったのかもしれない。阿蘇十二宮の金凝神も祀っているが金凝神は日置氏の氏神という説もあるのでそういった視点でも見ると面白い。
玉名の代表的な神社の1つ。「玉依姫」などが祀られています。
玉名の地の始まりの様な場所です。とても、凛とした空気感💕身が引き締まる思いがしました。
『玉依姫』の供養塚有ります。諸説有りますが鬼滅ゆかりの神社かもですね? ある意味『鬼舞辻無惨』を倒した貢献者は珠世さんですからねえw
【月 日】2020年12月8日【駐車場】無し(路肩)【トイレ】無し🔷玉名市玉名の玉名大神宮に参拝しました。小さな神社ですが楼門も有り、境内内には幾つもの祠が祀って有りました。
とても歴史があり、お社はとても立派です。宮司さんは現在で87代目になられるそうで、とてもお優しい方でした。御朱印は書いてある物を頂きますが、社務所では無く隣の宮司さんのご自宅にお伺いすると頂けます。ありがとうございました。
新玉名駅近くにあります。とても静かな所にあり銀杏の葉が色付く頃に行くととてもきれいです。きちんとした駐車場は無いので、注意がひつようです。御朱印は宮司さん宅で、いただけますが、判りにくいとおもいますので、電話されると丁寧に教えて下さいますよ。
名前 |
玉名大神宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0968-74-1955 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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七姫供養塔玉依姫伝説と共に玉依姫は本殿東末社に祀れ、石塔群はその姫の墓として大切に護られてきました。石塔群は五輪の塔や宝きょう印塔などが組み合わされており、供養塔として 建立されます。石には仏像(十一面観音菩薩像)や仏を文字で表す梵字などが刻まれています。 このあたりは古くは王家(天皇家)領の荘園仁和祭の五名荘でした。延久三年(七)に菊池肥後守則隆が肥後に下向し深川に館を構えると娘の玉依姫には 玉名郡を化粧田として与え、上に館を築いて住まわせました。玉を治めに大神宮に祭られた「玉依姫」 の供養塔は1365年頃(室町時代前期に 建立されています。西側の台座の南面に 「妙、正平二十年乙巳九月に建立と記され ており、「妙浄」とは姫の法名です。平成二十五年八月吉日。