歴史が息づく横穴墓群。
石貫穴観音横穴の特徴
3基の大きな横穴は、アーチ形の飾り縁が特長です。
山の斜面に存在する横穴墓群は信仰の対象とされています。
観音堂の裏手に位置し、貴重な史料として訪問者を迎えます。
横穴墓を公開しているとのことで訪問した。石室が綺麗に保存されており、創建当時の削った後や装飾も残っている。千数百年前に人の手によって作られたものが今見られる。ロマンを感じる。
観音堂の裏手の壁面にある横穴墓群。駐車場は少し手前に2〜3台分のスペースあり。近隣の石貫ナギノ横穴群と比べると場所柄もあり整備されており、保護ネットを外し内部へ入ることも可能。内部には後代の石仏や線刻もある。
山の斜面に5基ほど残存しており、うち3基は信仰の対象になっていたようで、前に拝殿が作られています。その3基とも内部の見学可能のようです(拝殿向かって左の1号墓は入口が狭くて入れませんでした)ので、コウモリ避けのネットを外して内部に入れます。真ん中の2号墓は石棺に後世に安置された石仏がありました。また、石棺上の石屋根は、瓦葺を模したような造りになっています。駐車場は道沿いにあります。おそらく、集落の方達が個人の土地を提供されて作られた感じです。地域の方の保存に対する熱意を感じます。
まだ中に入った事ございません。駐車場までです。
貴重な史料で『多くの人に知らせたい』反面『地元の暮らしや遺跡が荒らされるのでは』とも思います。
駐車場に止めて横穴までの経路が合ってるのか?疑問に思いながら進む事になりましたが、到着する事が出来ました。
2018年3月の内部公開で観ました。真ん中の穴の中には千手観音のレリーフや仏像が安置してあります。地域の信仰の場所なので、外から見るだけにして普段はあまり入らない方が良いでしょう。御堂から横穴へ上る石段もグラついてるので気をつけた方が宜しいかと。左の穴の入口にはレリーフありますけど、職員の方に教えてもらわない分からないレベルです。ここの内部も戦後に住み着いてた人が煮炊きして黒くなった、との事でした。
駐車場があります。4台くらい停められます。
名前 |
石貫穴観音横穴 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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3基の大きな横穴は入り口が3重の飾り縁となっており、外側の2重はアーチ形で、赤色の円文がかすかに見え,ます。1916年(大正5)本格的調査が行われました。石貫川右岸に発達した丘陵の南西に面する崖(がけ)に、凝灰岩を穿(うが)ってつくられた3個の横穴のうち、中央の横穴は、玄室にあたる部分が主室と奥室とからなり、主室には左右に各1個の棺床、奥室には奥壁に沿って1個の棺床がつくりだされています。奥壁に千手観音(せんじゅかんのん)が浮彫りされ、その前に石造十一面観音像が安置されているため古くから穴観音と称され、信仰の対象となっています。ただ浮彫りが横穴築成当初のものかどうかは確定できない。中央の横穴は奥室に千手観音が彫ってあり、右に十一面観音像があるため「穴観音」と呼ばれている。この横穴は前室と奥室からなり、前室はほぼ正方形で高さ2.5m、幅2.9mで、奥室の入り口には本瓦葺きの庇を設け、奥壁に千手観音像が彫られています。日本の装飾古墳で他に類例が無いため後の追彫ではないだろうかと疑われました。しかし、その手法、形状からみて当初のものと考えられるに至りました。千手観音信仰は奈良時代に伝来したもので、8世紀前半に造られた横穴と考えられています。日本でも類例がないとされ、1921年(大正10)に国の史跡に指定されました。なお、右にある十一面観音像は後の時代に置かれたものと考えられています。日本古来の装飾模様の円紋と渡来文化の千手観音が同居しているが日本の歴史を物語っているように思えます。