比叡山の日吉大社で心を癒す。
用木日吉神社(日吉宮)の特徴
1166年正月の伝承が息づく、歴史ある神社です。
比叡山の日吉大社を勧請した由緒正しき場所です。
恵方参りにぜひ訪れたい、特別な雰囲気が魅力です。
2022年恵方参りで御伺い致しました。今年一年宜しくお願い致します。
1166年正月に比叡山の日吉大社を勧請したと伝える。昭和初期までは、神社前方500m余の馬場を隔てた場所に鳥居のかわりに松が植えられ、熊本まで六里の程標とされた。地元の人々からは「一本松」の愛称で親しまれていたという。現在の鳥居は明治29年の建立。祭礼は毎年10月17日で神楽が奉納されている。 (菊水町史より)元々(1166年)はここから真っすぐ北へ200mほどの「神の浦(かみのうら)」に勧請され、1263年に柴尾山に遷し、1650年に現在地に遷したようだ。大体の場所が分かる字地図の画像を貼っておく。境内には・天神社(菅原神社・天満宮)・日吉神の使いである神猿(まさる)の像・大楠・猿田彦もある。鳥居松はもう残っていないが神社正面の橋・トンネルを渡り、10m程先を右折し40m程行った所に「鳥居松跡」の石碑が建っている。以下、私感この日吉神社は鹿央町の康平寺の影響による勧請ではないのか?と考える。目の前にある江田川(霜野川)を数km上ると霜野山康平寺(1058年建立)という寺社がある。この霜野荘は比叡山延暦寺に寄進をしており近くには日吉神社も多く比叡山との関係の深さが伺える(※日吉は「日枝」「ひえ」とも呼ばれる通り比叡山の神)。(蛇足:康平寺の裏山の国見山は近くの米野山・花簇山と同じ山岳信仰の場であったことから山王権現の叡山を勧請した?)また時代は戦国時代末期、康平寺周辺を治めていた内空閑氏は肥後国衆一揆(1587年)の失敗の後、日吉神社から1km程下流にある出城 牧野城に籠っている。また日吉神社から南東に200m程の小字立山(館山)には牧野左近入道宗倫が庵を構えていたとされる。これらのことから、少なくとも江田川の北側は康平寺の影響が強かったor交易が盛んだったことから日吉神社建立に繋がったのではないかと考える。後、デカデカと天照大神を祭ってるという看板を置くのは見苦しいからやめてほしい(画像は神楽)
お招き頂きありがとうございました。
名前 |
用木日吉神社(日吉宮) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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車で通っていて発見しました!生命力が物凄く感じられ大木のクスノキ?が人間が作った人工物石工と相まって凄い景色が見れます♪駐車場が道向かいなので気をつけて渡らないといけません。いつも思うが学業の神様とかそんなのはどうでもいいので何の神様が祀られていてその神様はどういう神様かを説明したものが欲しい‼️歴史をしっかりと紐解いて説明が欲しいです♪