小さな橋を渡る静寂の地。
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用水路に架かった小さな橋を渡って30mほど入ったところに地蔵大菩薩(左)と野仏(右)が並んで安置されている。
名前 |
地蔵大菩薩と野仏(取手市岡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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「岡堰水神岬公園」から堤防を通り、水門から水路沿いに「延命寺」横を抜け、「角田屋酒店」を右手に見て少し歩くと、「寺田建築」の手前に小さな橋があり、それを渡ると正面に見える。※「仏島山古墳」はこの裏手にあるよ❗以下は案内看板より●旧藤代町文化財指定彫刻『地藏大菩薩』昭和53年3月7日指定(平成17年3月 合併時指定解除)このお地蔵さんは、舟形光背(249cm)と立像(170cm)からなり、相馬日記に「仏島と名づけしは、かたへに地蔵の石像(いしのみかた)、又は何くれの仏の石像たてればなり」と仏島の名のいわれがある 。建立は寛文六(1666)年、順海、祐海、順永の各法印権大僧都の名が刻まれる。地蔵菩薩が、特に子育てにご利益があるといわれることもあろうが、地蔵像は如意輪観音像と並んで目立って多い 。その中でもこの光背をつけた地蔵は、大きさも県下でも最たるものである。●旧藤代町文化財指定彫刻『野仏』昭和53年3月7日指定(平成17年3月 合併時指定解除)名もない野仏である。舟形光背(78㎝)、座像(55㎝)で藪にまれた岩屋のたたずまいである。筑波山に、「弁慶の七戻り」という個所がある。 屏風岩の支える屋根の巨岩が今にも落ちそう、 さすがの弁慶も二の足・三の足を踏んだという。 この仏様のすまいもまさにその通り、地震はおろか、咳一つでも崩れそうな所に、屈託なげにおはす。地蔵大菩薩の後にある所から、裏地蔵とも呼ばれている 。刻字を辿ると、延命寺法印順海、延宝八(1680)年とある。座像は立像に遅れること14年である。延命寺何何とは、ここが延命寺の所管で、座像の丘の名残りの一角であり、延命寺の住侍の墓と思われるもの数基がある。昭和八年まで丘であったといわれる。昭和六十二年七月取手市教育委員会。