関口隆吉が愛した月間の地。
関口隆吉の碑の特徴
江戸時代末に井上志摩守の陣屋があった地です。
明治3年に関口隆吉が移り住んだ歴史のある場所です。
関口隆吉遺愛の地として重要な史跡となっています。
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名前 |
関口隆吉の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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説明書よりーーー関口隆吉遺愛の地ここ月間の地は江戸時代末には井上志摩守の陣屋であったが、関口隆吉が明治3年公用人として牧の原開拓方頭取となり、この地に移り住んだ。わずかな月日を過ごして、政府に任用され上京した。後に明治17年静岡県令に任ぜられたこの間、関口家一族がこの地に住み、農地を耕し生活を営み地域の人々に親しまれた。そして牧之原開拓、久能文庫の設立、東海道線の敷設など多くの功績を残したが、志半ばにして不慮の事故により逝去された。その後隆吉の孫秦氏がこの地に、先覚の遺愛の地として茶室を建てその由緒をいつくしむとともに、遺跡の保存を試み年月の経過を経て今日に至る。ここに郷土の先覚者としてその偉業を讃え、関口氏縁故の地として記録にとどめるものである。関口隆吉 天保7年(1836)生~明治22年(1889)没。