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名前 |
道標(崇神帝十年役 挑川故蹟) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
泉大橋を西に進んだ位置にある道標。ぽつんとサイクリングロード脇にたっていますが、今の泉大橋がかかる前は、ちょうどこの位置に泉橋があり、昭和の時期にはメインストリートで立派に道標として役割を果たしていたものです。この時の泉橋の橋脚は今も川原に残ってます。道標の記載は、ちょうどここから100mくらいのところに木津の渡し場があり、300mくらいのところに「瓶原渡船場」行きの乗り場があります。…そういった内容です。分かりにくいのはメインの南面の文章「祟神帝10年役挑川故蹟(すじんてい10ねんえき いどみかわこせき)」ですが、挑川故蹟(挑河の戦い)は大阪の北河内あたりに勢力があった「たけはにやすひこ」が奈良のはに土を得るため、平城山方面に進攻した時の合戦を指すものです。関係する石碑では近くに祟神帝の息子の垂神天皇時代の「懸木社」もありますよ。ただ、どちらも歴史というよりは民話や伝説の世界と言った方が良さそうですね、「崇神帝10年」は紀元前88年(弥生時代)ですから。(南面)崇神帝十年役 挑川故蹟 木津町五丁・奈良市二里余、(東面)笠置山・伊賀上野街道 瓶原渡船場三丁 恭仁京大極殿跡一里 加茂ステン所一里余 和束三里 笠置三里余 上野七里(西面)京都街道 玉水二里 長池三里 新田四里 (宇)治五里 伏見観月橋六里 京都三条大橋。