由緒正しい忌部氏の歴史を感じる。
忌部塚の特徴
忌部塚は、由緒正しい忌部氏ゆかりの史跡です。
安房国の成り立ちを理解できる重要な場所です。
日本の神を祀る氏族の歴史が感じられます。
かつて日本の神を祀る氏族だった由緒正しい忌部氏も、中臣氏、後の藤原氏に中央政庁からその座を独占されると、日本各地に散ることとなった。四国の阿波にいた忌部氏は、やがて麻や木綿を栽培する技術、織る技術、祭祀の秘密を持ち、黒潮に乗りここ、もうひとつの「あわ」の地である安房の国の開拓を始める。その忌部氏ゆかりの塚である。すでに御霊は多くを語ることもなく、自然のなかに静かにある。なお、かの織田信長も忌部氏の末裔であるという。
安房国が安房国である由縁はここにある。塚へ向かう道中、物の怪の叫び声には注意されたし。
名前 |
忌部塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
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古語拾遺 抜粋従五位下 斎部宿禰廣成撰(現代語訳)天富命(アメトミノミコト)[太玉命の孫。] 手置帆負・彦佐知の二神の孫を率いて斎斧・斎鋤を持ち始めて山の材木を採取し、 正殿を建てた。[所謂、底津磐根(ソコツイワネ)に太い宮柱を建てて、 高天原に届くほど高く御殿を造られた。]その末裔は今は紀伊の国の名草郡の御木(ミキ)・麁香(アラカ) の二郷に居る。[古くは正殿を麁香と言う。]材を採取する斎部の居る所を御木と言い、 殿を造る斎部の居る所を麁香と言うのはそのしるしである。また、天富命は斎部の諸氏を率いて種々の神宝・鏡・玉・矛・楯・木綿・麻等を作らせ、 櫛明玉命の孫は御祈玉(ミホギタマ)[古くは美保伎玉(ミホギタマ)と言い意味は祈祷である。]造る。 その末裔は今は出雲の国に居る。年毎に調物とその玉を天日鷲命の孫が造る木綿・麻・織布[古くは阿良多倍と言う。]と共に進貢した。天富命は天日鷲命の孫を率いて肥沃な土地を求め、阿波の国に遣わして穀・麻種を植えた。 その末裔は今は彼の国に居る。大嘗の年に木綿・麻布・種々の蓑を貢ぎ奉った。 故に郡の名を麻殖(アサウエ)としたのは是が元である。天富命は更に肥沃な土地を求めて阿波の斎部を分けて東の国に率いて往き麻・穀を播き殖、 良い麻が生育した。故にこの国を總国(フサノクニ)と言う。穀・木の生育したところは、 是を結城郡(ユフキノコオリ)と言う。[古くは麻を總と言う。 今の上總・下總のに国がこれである。] 阿波の忌部が居るところを安房郡(アワノコオリ)[今の安房の国がこれである。]と言う。天富命はやがてその地に太玉命の社を建てた。今は安房社(アワノヤシロ)と言う。 その神戸(カムベ)に斎部氏が在る。また、手置帆負命の孫は矛竿を作る。 その末裔は、今別れて讃岐の国に居る。年毎に調庸の他に八百竿を奉る。是はその事のしるしである。ぶ。願わくばその文の高く達して天鑒の曲照を被らん事を。807年(大同2年)