常陸の雄・佐竹氏の発祥地。
馬坂城跡の特徴
当時の地形がしっかり残り、歴史を感じられる場所です。
佐竹氏の発祥地として、平安時代から続く名族の歴史が学べます。
県道沿いに駐車スペースがあり、アクセスしやすいです。
稲村神社の駐車場から、西南方向に舗装路を歩くと、外堀らしき場所を横切ります。更に進むと、右側に雑木林の外郭があります。その先に、馬坂城入口の看板があるので、階段を登って行きます。左側に薬師堂があり、登った所に大手門があります。登りきると広い本郭があり、その周りを歩くと、内堀や堀切、帯曲輪を見ることができます。更に西に進むと、堀や土塁、物見塚を見て、西郭に出ます。一番先の袖曲輪に行くと、西側の眺めが良いので、眼下に水田が広がっているのを見られます。少し戻ると、間坂貝塚や水の手、腰曲輪を見て、本郭に戻ります。馬坂城跡自体が、個人所有の土地なので、一部畑に利用されています。町内の団体が、城跡の遊歩道や広場の管理や整備をされているそうなので、これだけ綺麗に管理されているのは、素晴らしいことだと思います。四阿やベンチも整備されていますので、休憩しながら散策できます。石塔山への遊歩道は、通行止めになっていますので、注意してください。
主郭近くは畑となっているがその他の堀等当時の地形がよく残っていた。
本郭のあった場所に散策マップが用意されていて、要所要所に案内板もあるので、とてもわかり易く道に迷うことはありませんでした。土塁や堀の他に円墳を利用した物見塚や石塔山に貝塚、さらに当時一番大切だったであろう水の手(井戸)等、見所満載で楽しく見学できました。(^○^) 因みに御城印は佐竹寺でいただけるそうです。
大河ドラマで紹介されていたので、また訪ねてみたくなり、今から10年以上前からの再訪です。私有地という事ですが城内が綺麗に整備されており、散策しやすいお城でした。佐竹氏の歴史を堪能。
全て私有地なのに、道路標示もあり、復興門も作ってある。空壕の外堀や内堀は結構深い。曲輪跡も残っており、周りに高い山が無いので、さほど高くないが周りが見渡せる。佐竹氏発祥の地、大規模ではない戦の防備には役立ったろうと思われる。私有地を開放して見学させて頂き、恐悦至極。
常陸の雄:佐竹氏が本拠としていた城。現在は畑地と墓地になっています。古い城ゆえか堀などの遺構はそこそこ残るレベルでした。城址北東には佐竹氏ゆかりの佐竹寺もあります。
佐竹氏の最初の居城跡です。この地から佐竹氏の隆盛が始まったという歴史的な意味を感じさせられます。高台にあるためか、良い眺望が楽しめました。なお、今残されているのは壕・土塁が中心となりますが、大手門が造られているためか、雰囲気がでています。なお、大手門は坂の途中から登ってすぐでしたが、駐車場がないので、下の駐車場から行くのが正解です。
平安時代の末期に始まり、さまざまな戦いや時代の変遷の中を生き抜き、現代まで続く息の長い源氏の名族「佐竹氏」の発祥の地です。その間に有象無象の勢力がどれだけ興り滅びたか、想像もつきませんが、今も君臨し家を保っているのは「凄い」としか言いようがありません(現・秋田県知事の佐竹敬久氏は一族の出身)。院政期の武将「八幡太郎」源義家の弟、新羅三郎義光の孫「昌義」が現在の常陸太田市稲木町(旧佐竹村)に土着し、この馬坂城に入ったのが始まり、と言うから古い話ですね。二代目の隆義が、より広い敷地の確保できる常陸太田舞鶴城(現・太田小学校)に本拠地をうつしたので、馬坂城は一族の稲木氏の居城となっていました。常陸の雄として佐竹氏はその後も長年繁栄を続けますが、19代義宣の時に致命的な判断ミスで先祖代々の所領を全て失ってしまいます。関ヶ原の戦いで中立的立場をとったため徳川氏から睨まれ、また江戸の後背に敵味方定かでない大勢力を置いておく事の不気味さもあって、秋田・仙北に転封になったのです。その時に、この馬坂城も廃城になったとされています。さて、城としては戦国時代に多少の改修は受けているようですが、基本的には旧式な城郭です。比高約20mの台地を空堀で三つに区画し、その中央を御城(本廓)としています。虎口も食い違いにしたり桝形にするといった工夫は特に見られません。そんな細事よりも広い空を見上げながら、佐竹氏を通り過ぎていった「悠久の時間」に想いを馳せるのが、この城の正しい鑑賞の仕方ではないかと・・・。
【駐車場】県道沿いに駐車スペースあり。【雰囲気】各所に曲輪の表示があったり順路を示す看板があったりして親切だな〜と感じました。道沿いには竹のガイドラインがあり、ルートからそれにくくなっています。
名前 |
馬坂城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0294-72-3111 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
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常陸佐竹氏発祥の地と云われる太田城へ居城を移す前の佐竹氏の本拠地。廃城年は佐竹氏が秋田転封時だが戦国期の城主等の記録が薄く太田城の南西を守る要害として使われたか。太田城より遺構がかなり多く残り佐竹氏特有の横堀や二重堀切も見られます。城北側の尾根を断ち切った堀切や五段切岸の防衛システムが見られ、水の手跡、復元冠木門が見られます。城跡は私有地なのですが、良く整備されており城跡の畑で働く地元の方も色々説明して下さります。注意書きがありますのでマナー良く登城しましょう。主殿には縄張り図があるので迷いはしないと思いますが、城北側の斜面は急崖となっているので滑落注意です。お城専用の駐車場が県道沿いにあり、近くの神社にも駐車場が完備されているので少しばかりですが歩いて登城しましょう。梅雨明けに登城しましたが、当然ながら日陰はブヨの大群でした。虫除けスプレーをオススメします。