壇ノ浦合戦の跡地で歴史探訪。
一(市)之塚源平古戦場跡の特徴
大きな供養塔と石柱が印象的な史跡です。
平家の残党が逃げ込んだ地でもあります。
源平の戦いに関する歴史を感じられる場所です。
西の防人筑後久留米の勝ちガラス🐥キュウタロー銀輪偵察🚵久留米に前進中に船小屋を過ぎたあたりで薩摩街道と史跡一之塚源平古戦場跡の石柱と大きな供養塔を発見し参拝す。壇ノ浦で負けた平家の残党が太宰府で敗れ、筑後川を渡りこの地でも抵抗して敗退した際の死者の供養塔のようです。この後は、平家の残党は山川町と肥後南関の境松風の関の隘路を決戦場とし要川の要害で抵抗し壊滅しました。嗚呼諸行無常。
ここでも源平の戦いがあったとか。薩摩街道沿いです。
壇ノ浦の合戦で敗れた平家の残党は、太宰府や久留米に逃げ込んできますが、源氏追討の手は緩みません。落人達は筑後まで逃れてきますが、ここでも多数の死者をだします。その死者をこの地に集めて弔ったのが、一之塚です。源氏方は源範頼、塚を築いたのは平宗清との伝承があります。
| 名前 |
一(市)之塚源平古戦場跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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あぁ、たしかに源範頼は九州側に来てましたからね。筑後地方は源氏より平家ゆかりの地が多いです。九州に逃げ延びた平家の残党供養の場所が多いですね。古文書だけではわからないこともあるものですね。実際に地方に来てみたら、知らなかったことも知ることができるのです。