前橋公園の石碑巡りを楽しもう!
宮崎有敬翁紀功之碑の特徴
前橋公園に位置する歴史的な石碑のひとつです。
記念碑は公園内で他の石碑と共に立っています。
群馬県前橋市の名所として訪れる価値があります。
前橋公園の中には、いくつかの石碑が建ってます。そのうちの一つ。前橋の歴史を勉強しましょう。
前橋公園の中には、いくつかの石碑が建ってます。そのうちの一つ。前橋の歴史を勉強しましょう。
| 名前 |
宮崎有敬翁紀功之碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
〒371-0026 群馬県前橋市大手町3丁目13 前橋公園前 |
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前橋公園の中にある石碑のひとつ。紀功之碑(きこうのひ)とは、功績を称えるための石碑のこと。特定の人物や団体の功績を顕彰するために建立されるもので、歴史的な意義を持つことが多い、という。宮崎有敬翁紀功之碑碑文の篆書題字 侯爵松方正義私こと楫取素彦は明治初年群馬県令として上州に赴任し、この地で最もすぐれている人物は誰かとたずねると、みな声をそろえて人々はそれは宮崎有敬翁であると答えた。宮崎翁の家は代々伊勢崎藩の御用商人であり、彼自身も幕末期に藩主へ経済と国防の重要性を進言し、農兵制度と飢饉のための穀倉の設置を求めたが、藩は宮崎翁の言動を嫌い、翁は逮捕されたのである。時は明治となり、宮崎翁は大蔵省や内務省役人として八年在職したが、生糸は横浜に基盤がなければ輸出できないという不利益を痛感した。そのため、有志と「上毛繭絲(じょうもうけんし)改良会社」を創設し、高品質の生糸を生産して直接海外に輸出することに全力を注いだのである。また伊勢崎織物の品質向上にも努め、同業者とともに太織会社をおこしたが、これが、こんにちの伊勢崎織物の隆盛に結びついていることはいうまでもない。明治十二年宮崎翁は第一回の県会議員に選出されたが、同時に初代議長を五年間つとめた。その間何ひとつ宮崎翁を批判する声さえなかったのは、その真面目なひとがらゆえである。その他、製糸機械の改良や農業銀行の設立など終生にわたって、宮崎翁は国のため民のために努力した。ここに生前における宮崎翁の労苦に深く感謝し、心安かれと祈りものである。明治四十年 五月貴族院議員 楫取素彦 撰文藤生高 書 井上○泉 刻字ただただ感謝するのみです。