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名前 |
愛宕神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
追切愛宕神社(おっきりあたごじんじゃ)御祭神 火産霊命由緒御祭神の火産霊神をいつ創祀したかは不詳ですが、嘗て当神社は東流する思川の堤上にあって西に氏子の屋並を睥睨し、これを守護して鎭座していました。大正五年(1916)四月現地に遷宮しました。そもそも愛宕神社はその性格としては「火の神」ですが、これはまた村境にあって、村落を守る社でもありました。佛教伝来後、神道と佛教とが習合し、仏(本地)が衆生を救うために、権に神の姿となって現われた(垂迹)とする考えが広まりました。これによって、愛宕神社の本地仏は勝軍地蔵とされ、愛宕権現とも称されるようになりました。この習合は、愛宕神社と地蔵尊が元来境界や大地に関係していると云う相似性によるものですが、更に勝軍を冠するに到ったのは、境の神、塞の神を塞地と呼ぶところからの転訛であるといいます。しかもこの勝軍という名によって、中世武人の大なる崇敬の的ともなりました。当愛宕神社は村境に鎭り良民の安寧を守って幾星霜、明治三十九年(1906)四月十日、社殿は一新され遷宮にもよく耐えましたが、昭和六十二年丁卯(1987)十月、この度老朽化を嘆く氏子一同の総意はここに新築の美を更に重ねました。(「社殿内由緒板額」参照)社殿前の朱色のお堂は観音堂です。