日本赤十字社創始者の生誕地。
佐野常民生誕地の特徴
日本赤十字社の父、佐野常民の生誕地です。
幕末の歴史を感じられる史跡として人気です。
海軍や日本赤十字の歴史を学べる場所です。
日本赤十字社の創始者である佐賀七賢人の佐野常民の生誕地です。記念碑は大正15年、日本赤十字社創立50周年記念として建立されました。
佐野常民に関しては赤十字の創設に尽力したことは存じていましたが、それ以外は今回の歴史館の訪問まで知りませんでした。佐賀藩の蒸気船建造はもちろんのこと数多くの灯台設置や美術品を保護し、博物館の父と呼ばれておられたことは初めて知りました。パリの万国博覧会に参加し、驚愕しただけでなく、それを糧として多くのことを成し遂げたのは驚嘆です。生前に勲二等、没後に勲一等が授与されています。
日本赤十字社の父といえる方の生誕地。近代日本史好きな方なら一度は名前を聞いたことがあるかも。
佐野常民生誕地は、佐賀駅の南東8.9kmほどの佐賀県佐賀市川副町大字早津江津にあります。志賀神社の南100mほどにあります。記念碑は、大正15年(1926年)日本赤十字社創立50周年記念として建立されました。佐野常民(さの つねたみ:1822〜1902年)は、佐賀七賢人の一人とされ、日本赤十字社の創始者であり、幕末・明治の先覚者として、造船・兵制・殖産産業・芸術文化等の広い分野で活躍しました。文政5年(1822年)佐賀藩士の下村光贇の五男としてこの地に生まれ、9歳の時に親戚の藩医の佐野常徴の養子となりました。大坂や江戸で緒方洪庵、伊東玄朴らの門弟となって蘭学、医学などの学識を広めました。嘉永6年(1853年)31歳の時に佐賀藩精煉方主任となり、さまざまな理化学研究の指揮をとり、蒸気船・蒸気車の雛形、電信機の製作を行いました。安政2年(1855年)からは幕府の長崎海軍伝習所で航海、造船術を学び、3年後、郷里の三重津に佐賀藩海軍所を置いて伝習を開始し、この地で日本初の実用蒸気船「凌風丸」などを完成させました。慶応3年(1867年)のパリ万国博覧会には佐賀藩の団長として、6年後のウィーン万国博覧会には博覧会事務副総裁として渡欧し、西欧の先進的な知識・技術・思想の見聞・習得に努め、同時に、各国に赤十字社が組織されていることを知りました。明治10年(1877年)の西南の役で、その惨状に心を痛めた彼は「博愛社」を創設、敵味方の区別なく負傷者を救護しました。これが日本における赤十字事業のはじまりです。10年後、博愛社は「日本赤十字社」となり、常民は初代社長に就任しました。大蔵卿、元老院議長など、政府の要職を歴任する一方で、工部大丞兼燈台頭として洋式燈台の建設、内国勧業博覧会による伝統美術・工芸の発掘、日本美術協会の前身「龍池会」の会頭として芸術家の保護・育成に力を尽くすなど、常民はマルチ人間として、近代日本の形成過程において数々の偉大な足跡を残し、幕末から明治の時代を駆け抜けていきました。
地元で「記念碑」の名で親しまれている、佐野常民生誕地です。私の小さな頃は、いつもここで遊んでました。春には、ここから眺める近くの志賀神社参道の桜並木がきれいです。
明治初期の海軍や日本赤十字に関わった人の生誕地。佐野常民の事は、記念館を訪ねるまで殆ど知りませんでした。
幕末佐賀藩三重津海軍所の責任者で日本赤十字の創設者でもある佐野常民の生誕地。医者の息子に生まれ、江戸や京都の広瀬塾で学び、同門の田中久重親子らを佐賀藩精錬方にヘッドハンティングした。幕末近代を語る上で重要な人物の一人。
| 名前 |
佐野常民生誕地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0952-34-9455 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館から歩いていけます。当時の建物などはなく、現在は空き地に石碑と記念樹があるだけです。駐車場などはありません。