歴史の薮を抜け、坂戸城址へ!
富岡城跡の特徴
標柱のある南東側の登城口からの挑戦が魅力的です。
坂戸城主小宅氏ゆかりの歴史が感じられます。
先人たちが訪れた城址碑の存在に驚きが隠せません。
築城年代など詳細は不詳ですが、坂戸城主小宅氏の家臣・稲川土佐が城主であった(岩瀬町史)としか分かりません。独立丘陵上の城跡であり、正式には南東麓の標柱「史跡 富岡城跡」脇から入るらしいのですが、北北西部の太陽光パネルと民家の間の八坂神社参道口から侵入するのが楽々です。いえ実は八坂神社を探して彷徨い歩いていたら、ここが富岡城跡だったという次第なのですが。
2020/8/20南東側の標柱のある登城口から攻めるもなかなかの薮。薮を抜けると主郭となるが、主郭の周りはぐるりと土塁と堀に囲まれており、なかなか見ごたえがある。帰りは北東にある八坂神社から降りてのだが、こちら側にはちゃんとした道がついていた。また、山を降りてすぐ北側には土塁に囲まれた空き地があるが、これは城関連の居館跡なのか、たんなる生垣なのかどうだろうか。
| 名前 |
富岡城跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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先人諸氏が城址碑のあるところから入ろうとしていて驚きました。城址碑は、城跡の東南麓にあり、こちらの印象としては全然関係ない方にあるんだな…といった具合でした。進入路は城跡の北西(城址碑と反対側)になります。路地が狭く、車が停められないので、城址碑付近の広くなってるところに停めた時に、予期せず城址碑を見つけました。進入路は八坂神社への参道になっていますが、すぐに道よりも外縁の土塁が見えてきたので、そちらに逸れました。独立丘のような丘の頂上部を一周するように横堀と土塁が囲み、郭内は一応平坦ですが、一部倒竹などが道を阻ます。主郭の東側の横堀の下には何本か竪堀が落ちているようですが、一番北のものは上から確認できましたが、他は薮に阻まれてよく見えませんでした。主郭から出て西側の土塁上に八坂神社があります。八坂神社の西側斜面を便宜上II郭とされていますが、自然地形です。さらにその西側に堀のような凹みと平場があり、Ⅲ郭とされています。その先は宅地化などにより遺構は消滅しており、西限は確定できません。城主は坂戸城主小宅氏家臣の稲川土佐とも言われています。また、戦国期に結城氏と笠間氏の戦いにおいて、結城氏重臣片貝伊賀守の郎党月山坊が入って笠間勢と戦ったともいわれ、陣城として利用したと考えられます。