威厳あるさんじょう城へお参り。
三城城跡の特徴
富松神社の鳥居脇にある駐車場が便利です。
洪水を考慮した築城縄張りが特徴的です。
威厳あふれる勇ましい三城跡を楽しめます。
威厳 勇ましい。
さんじょう城。大村純忠築城、純忠の子喜前が玖島城に移るまでの主城。三城七騎籠が有名で後藤貴明、松浦隆信、西郷純堯が三城を囲んで攻撃したが攻めきらず退散した。本丸を中心に北に二の郭、南西に三の郭で構成され本丸の東南から北東に大規模な空壕があります。本丸は忠霊塔となり、以前は城標柱が登り口に倒れてましたが今は手水の側にひっそりとあります。富松神社から登ると忠霊塔下部に駐車場3台位可。
冨松神社に初詣に行った。
かつての護国神社。こんな事を祈れば勝てると考えたあたり旧軍の偉い奴らは頭も戦略もガバガバ過ぎて(戦死した方々が余りに可哀想で涙が)で、出ますよ?
昔、築城縄張りする時に洪水考えて作られてるので、洪水が起きたには安全地帯です。標高も約33mあります。平地に行くと約6mになるので、洪水時には助かる場所の一つです。昔の人はすごい。愛を込めて。
名前 |
三城城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0957-53-4111 |
住所 |
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HP |
https://www.city.omura.nagasaki.jp/kankou/kanko/spot/rekishi/shiroato/sanjojoato.html |
評価 |
3.5 |
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富松神社の一の鳥居の脇から入れる駐車場へ車を停めさせて頂き、神社へお参りをしてから城跡巡りをした。多くの城跡(周辺)には神社又は寺院があり、私はいつもそこの駐車場に車を停めさせて頂くので、深いお礼と感謝の気持ちを込めて、お賽銭を上げてお参りをすることにしている。さて、三城城[さんじょうじょう]は大村純忠(純忠は有馬晴純の二男で、母が大村純伊[すみこれ]の娘であったため、大村純前[すみあき]の養継嗣となった)が永禄元(1558)年から築城を始め永禄七(1564)年に完成した城である。城は標高が同程度の主な三つの曲輪で成り立っている。私は、お参りを済ませた後、市杵島[いちきしま]神社の石鳥居の右手石段を登り、まず一の曲輪へ入った。ここには「長崎県忠霊塔」があったが、あまり興味がなかったので(後日ここに城址碑があったのかもしれないと後悔したが)、曲輪の崖に沿って左に廻り、三の曲輪への土橋跡を探した。しかし藪だらけで見つからず、忠霊塔を四分の三位回ったところで崖(切岸)に出て、崖下の堀(腰曲輪)に降りようとしたときに、焦って滑り落ちてしまった。比高が3~4m位あったので横に1回転してやっと止まった。幸運にも気づいたら怪我がなく、身体も動く。5泊6日の旅の初日に怪我では悔やんでも悔やみきれなかったが・・・。神に感謝した。三の曲輪は諦めて、この堀伝いに二の曲輪へ向かった。二の曲輪は広場になっていて、ここに古ぼけた「三城城案内板」がある。ここから細い道路沿いに三の曲輪へ向かうと、下り坂(石垣遺構がある)の途中に左手に入る雑草の生い茂った脇道があった。ここを入ると三の曲輪で、崖(階段)を登り切ったところに「三城神社」の跡?がある。建物の中は空っぽで何も祀られていないように思われた。因みに、この三城城は大村純忠の子喜前[よしあき]が、慶長四(1599)年に居城を玖島[くしま]城へ移すまで大村氏の本拠城だった。《2023.7.17訪問》<おまけ>どういう訳か、三城神社がある三の曲輪の崖に、羊が飼われていた。健気で愛らしかったので写真に納めた。