佐嘉神社でカノン砲を発見!
カノン砲の特徴
神社に置かれたカノン砲が迫力満点です。
実際に行事で使用される独特な武器です。
カノン砲デザインの御朱印帳が魅力的です。
佐嘉神社内にあります。佐嘉神社と言えば佐賀藩主直正を祀りますが、直正は国内初の反射炉、大砲カノン砲、アームストロング砲などを作り、近代日本の幕開けに貢献しました。これらの功績を後世に残す展示です。
佐賀市内にはカノン砲がけっこう飾ってあるんです。
復元されたものです。外国の船の来航がきっかけで設置を始めたのですね。
カノン砲・・『カノン砲』について検索すると色々出てきますね。さらに多布施反射炉、築地反射炉でも検索をされると補足情報に当ることができますよ!【さがの歴史・文化お宝帳】と言うページでは、『カノン』とは仏語の[canon]に由来し砲身が長い大砲の総称になります。幕末期の佐嘉藩では、自藩で製造した青銅製・鋳鉄製の前装滑腔式カノン砲を、長崎港の台場に多数配備したようです。佐嘉藩は早くから、大砲の生産技術向上に勤めていたようで。他藩に先駆けて[築地反射炉(ついじはんしゃろ)]を建設し。早期に“高度な鉄”の精錬に成功していました。浦賀にペリー率いる船団が来航し、日本に通商を迫った件に危機感を抱いた徳川幕府は。大砲の製造に抜きん出ていた佐嘉藩に下命をくだし、大砲を供出させることに。その内容が・・鉄製[36ポンドカノン砲25門][24ポンドカノン砲25門]およびそれらを乗せる[台車50台]と言う注文だったとのこと。そこで佐嘉藩は《築地反射炉》だけでは、生産能力が不十分と言うことで。《多布施反射炉(たふせはんしゃろ)》を新たに建設し、大規模な生産体制を樹立させていたようです。何分大きな大砲なので、何度も失敗を重ねてやっと大砲25門を鋳成。16門を船2隻に積み込み急ぎ積載し送り出したが、いずれの船も暴風雨に遭い沈没。そこで、積み残しの大砲と、新たに作った大砲を輸送して品川台車に据え付けたとのことです。信頼されていたんですね~、当時の佐嘉藩は〜まあその後は、朝廷方として薩長土肥の一角として立ち《幕藩体制》をひっくり返すことになるのですが・・・(薩摩・長州・土佐・肥前 どこがどこだかはご理解いただけてますでしょうか・・)ところで、戊辰戦争で活躍したとされる佐嘉藩の《アームストロング砲》も『カノン砲』の一種です。イギリスの技術者「ウィリアム・アームストロング」によって開発された、砲身の内側に[旋条(ライフリング)]を施された大砲になります。ちなみに、カノン砲の復元プロジェクトでは、24ポンドカノン砲2門が製造されて。この佐嘉神社と佐賀城公園に据えられております。イベント等で行われる【カノン砲の試射】は『佐賀城公園』のものです。【台場】・・東京の地名で《お台場》なんて所もありますが「台場」とは幕末に設置された〈砲台〉のことですね。当初は幕府や各藩において、異国船の打ち払いを企画したものが多く。海岸や河岸に築かれるものが多かったよう。東京の《お台場》は、東京湾に“沖島”として築かれた台場の跡と言うことですね。
ドカーンと置いてあります。見る人が見ると大変興奮しそうな気がします!
ドカーンと置いてあります。見る人が見ると大変興奮しそうな気がします!
神社に武器が置いて有るは初めて見ました。
行事で実際に使用するそうです、カノン砲がデザインされた御朱印帳もあります。
神社の敷地内でかはわかりませんが、年中行事か何かでぶっ放すそうです。
| 名前 |
カノン砲 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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