弥生の歴史が息づく、高志神社の魅力。
高志神社(櫛田三所大明神)の特徴
古社でよく手入れされ、神聖な雰囲気が漂う場所です。
スサノウノミコトとイナダヒメの夫婦神を祀っています。
弥生時代の遺跡があり、歴史深い集落の一部です。
スサノウノミコト と 相殿イナダヒメのミコト は夫婦神。相殿し奉られる。御利益は夫婦神ということもあり、縁結び神社といえるだろう。❶【参考 高志神社 佐賀の栞 大正15年】高志神社 郷社景行天皇巡幸のときの勧請と伝わる。出雲国高志郷、高志社の分霊を祀つったもので、元コシととなへたが、いつの時からか タカシと言うようになったという。永仁6年(1298年) 右中辨(正五位上相当官)某(なにがし)の判文がある。その他多くの古文書を存している。昔は御祭田・神楽田・流鏑馬田等の寄付があって、これ等の祭事は、すこぶる盛んにおこなわれていた。今尚付近に、神楽田籠・流鏑馬龍・大鐘龍等の地名や、神水川・笛の橋・下馬橋等の地名も残っている。境内廣濶(こうかつ・ひろびろとしている)、幽邃の地(ゆうすい・景色などが奥深くて物静か)をしめ、春秋の祭祀には遠近の参詣者おおく、とりわけ七夕祭は近郊の行事として知られている。例祭は10月13日である。[鎮座地] 城田村大字下板字高志[祭神] スサノウノミコト(稲田姫と夫婦) 相殿イナダヒメのミコト(須佐能と夫婦) ヤマトタケルノミコト(防火の神)
高志神社(たかしじんじゃ)は、JR神埼駅の南4.7kmほどの神埼市千代田町高坂の集落の中に鎮座している神社です。同じ旧神埼荘の「櫛田神社(旧神埼町)」、「白角折神社(旧仁比山村朝日)」と合わせて「櫛田三所大明神」と称された神社です。景行天皇12年の筑紫巡幸の際、主神たる素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祀られたとの伝承が残されています。寛元2年(1244年)の『遠眞施行状』に「高志・櫛田両社大宮司職事、…」との記載があります。「櫛田宮略記」には「平安時代、今の神埼市から三養基郡みやき町あたりまでは皇室領の三千町歩もある荘園で「神埼御荘」と尊称されていました。その荘園の総鎮守が櫛田宮であり、南北各一里の地に鎮座する高志神社・白角折神社とは三所一体の神社で「三宮一徳、三所明神」と称しました。」と紹介されています。高志の地は、馬場川と田手川の合流点にあたり、北には蔵戸津があるなど、筑後川水運の要衝に位置していますが、「神埼荘三所大明神」となる他の2社もそれぞれ水路の入口や低湿地の中心地など、荘園の要地に配されています。つまり、水郷地帯の宿命ともいえる水難から土地を守り、豊かな実りを期待する意味を込めての鎮守、守護神と推察されます。周辺には「神楽田篭」(かぐらだこもり)、「流鏑馬篭」(やぶさめこもり)など、神事を想定させる地名も残されています。参道の石橋は、神域と下界を繋ぐ重要な役割をもっています。橋の親柱には、牛津(砥川)の石工集団、平川氏に属する、平川幸之允(ひらかわこうのすけ)の名前があり、享保5年(1720年)に造られ、寛保3年(1738年)および天明5年(1784年)に改修されたことが記されています。狛犬は、文化12年(1815年)の建立です。社殿は明治百年記念で昭和43年(1968年)に改築され、平成3年(1991年)にも改修されました。御祭神は、須佐之男命です。のちに、稲田姫命(いなだひめのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)を配祀しました。境内は能楽堂があり、毎年10月12日の秋祭で、全国でも唯一、鷺流の狂言を伝える佐賀県重要無形文化財「高志狂言」が奉納されています。「高志狂言」というのは、特に専門の狂言師によらずに高志地区の住民で保持し、約二百年にわたって受け継がれてきた芸能です。高志地区には、能の家元である島家と、狂言の家元である古賀家の両芸能集団が存在しました。永く、能と狂言の両方を奉納してきましたが、現在では狂言だけを演じられています。境内は高志神社遺跡でもあります。千代田町北東部、田手川西岸の微高地(標高4.5m)に位置する高志神社の境内を中心とした弥生遺跡です。調査の結果、弥生時代前期末から中期中頃の甕棺墓38基、弥生時代中期前半の祭祀遺構2基、井戸跡4基、土壙9基、貝塚などであり、遺跡の北側に墓地、西側に貝塚、南側に集落が配されています。高志神社遺跡は、狭い範囲ながらも、集落、墓地、貝塚が確認されており、佐賀平野の弥生時代の遺跡の中でも、有明海の海岸線に位置するムラの特徴を備えています。また、墓地より検出された戦士と思われる甕棺墓から発見された武器類の出土は、当時の戦闘・呪礼など数々の社会事情について今後の研究に好資料を提供するものです。特に、出土した銅剣は、この遺跡が佐賀平野のみならず、我が国の初期青銅器文化における青銅器の使用形態や生産・分配状況の解明、および大陸との交渉などの研究にも重要な遺跡であることを示しています。神社のある「下板(しもいた)」という地名は、かつてあった肥前佐賀藩の神埼郡(かんざきぐん)下板村に由来します。明治22年(1889年)下板村・詫田村・嘉納村・黒井村・姉村・直鳥村が合併して、城田村(しろたむら)が発足しました。昭和30年(1955年)城田村・境野村・千歳村が合併して千代田村が発足しました。昭和40年(1965年)千代田村が町制施行して千代田町となりました。平成18年(2006年)千代田町・神埼町・脊振村が合併して、神埼市が発足しました。
10月の第二土曜日が秋の例大祭で高志狂言が奉納されます。
弥生時代の遺跡があることから、古くから集落と社があることが伺えます。
| 名前 |
高志神社(櫛田三所大明神) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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よく手入れされている古社。