南部の激戦地で感じる平和。
南北之塔の特徴
沖縄とアイヌの人々の交流の証としての重要な史跡です。
阿波田鍾乳洞から美しい景色を堪能できる場所です。
沖縄と北海道の戦士たちを祀る慰霊碑が建立されています。
80年前沖縄は戦場だった沖縄(とくに南部)には、戦争の記憶と平和の願いが込められた慰霊碑や塔が多くある。この糸満市真栄平にある南北之塔は、戦後に散乱していた遺骨を地域住民が一か所に集め、1946年にアバタガマに納めて納骨堂としたことに始まる。1966年に恒久的な慰霊塔として「南北之塔」が建立された。南の沖縄から北の北海道まで、様々な地域の人々が沖縄戦で命を落とし、ここで眠っていることを示すように命名されたよう。1945年夏の終戦後、沖縄の山谷に散らばるおびただしい数の民間人と兵士(日本人)の遺骨を日本政府はどうすることもなく放置されたままでした。日本国として遺骨収集に動いたのは1956年、沖縄戦がひと昔になった後でした。遺骨収集も県民4人に1人という大きな犠牲を払った沖縄の人たちに任せっきりだったと言えるかも。沖縄の住民が自主的に遺骨を収集し納骨したいう意味では、糸満市米須にある魂魄の塔(こんぱくのとう)も同じように周辺に散乱していた遺骨を収骨し建立された。
ナビがないと辿り着けない所でした。落ち葉が溜まっていたので、ザックリとお掃除しましたよ🍂みんなで語り継いで慰霊をしていきたいと思いました。6月にまた、訪ねます。フルートで慰霊演奏する予定です。
真栄平集落の後方、耕地整理の進んだ畑地の一角にある。激戦地であった真栄平では、屋敷内や道路、田畑、山野に散在していた身元不明の遺骨を住民が収集し、集落後方のアバタガマに納めた。人々はここを真栄平納骨堂と呼んだ。収骨された遺骨は数千体に及んだという。字では永久的な慰霊塔を建てることを決定し、1966(昭和 41 )年各世帯からの分担金と内外からの寄付金によりこの場所に「南北之塔」を建立した。毎年 6 月 23 日は字主催の慰霊祭を行っている。-糸満市HP 市内の戦跡を歩く4より-
大東亜戦争の戦跡めぐり沖縄戦の真栄平地域で犠牲になった将兵と住民の遺骨が散乱していたことから、住民が拾い集め、ここのガマに納骨堂にしたのが始まりです。北は北海道から南は沖縄までの将兵と真栄平地区の住民の慰霊塔になります。また、塔の横には、戦闘斥候を任務とする北海道旭川で編成された捜索第24連隊の慰霊碑があります。真栄平地区の住民と賛同者からの寄付で建立されました。
激戦地となった真栄平地区は住民の3分の2が亡くなったそうです。戦後に遺骨を集め、アバタガマに収骨された遺骨は数千体に及んだとのこと。住民だけでなく旭川が本部の89連隊の兵士の遺骨も納めたことから南北の塔と命名されたそうです。
数台の車を停められるスペースもあります。
NHKで見ました 沖縄の人々アイヌの人々の交流の証として大切な場所。
真栄平集落の後方、耕地整理の進んだ畑地の一角にある。激戦地であった真栄平では、屋敷内や道路、田畑、山野に散在していた身元不明の遺骨を住民が収集し、集落後方のアバタガマに納めた。人々はここを真栄平納骨堂と呼んだ。収骨された遺骨は数千体に及んだという。字では永久的な慰霊塔を建てることを決定し、1966(昭和41)年各世帯からの分担金と内外からの寄付金によりこの場所に「南北之塔」を建立した。
Abata cave has lovely views. Worth passing by and praying for those who are resting beneath
| 名前 |
南北之塔 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
平和記念公園の大きさ、広さを考えると沖縄の人の平和への想いの強さが感じられる。沖縄を訪れたなら平和記念公園、南北之塔へは一度は訪れてほしいところです。南北之塔は、北海道のアイヌの人たちと沖縄人たちの想いの強さを感じるところ。