毎年元日に訪れる観音霊場。
光明寺の特徴
光明寺は728年に建立、聖武天皇の勅願寺として歴史深いです。
筑前国中三十三ヶ所観音霊場の第13札所として親しまれています。
毎年元日に訪れ、心を整える特別な場所です。
毎年元日にお参りさせていただいております。
筑前国中三十三ヶ所観音霊場の第13札所です。無住の為、少し離れた所にある福寿寺様で御朱印を頂きました。ご本尊は十一面千手観音で、とても近くで見る事が出来、とても立派なものでした。ほかに大日如来堂や、御大師さまのお堂や神社もありますが、すべてお手入れがとても行き届いていました。辿り着くのが大変ですが、心静かにお参りさせて頂きました。
名前 |
光明寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.6 |
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光明寺(こうみょうじ)(小田観音堂(こたかんのんどう))この寺は,神亀(しんき)5年(728年)に,聖武天皇の勅願寺(ちょくがんじ)として法隠禅師(ほういんぜんじ)が開山となり建立されました。当時は,七堂伽藍(しちどうがらん)が立ち並び,祈祷殿(きとうでん)や鐘撞堂(かねつきどう),ふもとには大門もありました。ご本尊の千手観音(小田観音)は,清賀上人(せいがしょうにん)(生没年未詳)の作で,「福岡三観音(他は仙如寺大悲王院(せんにょじだいひおういん)の雷山観音,正覚寺(しょうかくじ)の油山観音)」の一つと伝えられています。脇立は十一面観音と不空羂索(ふくうけんじゃく)観音です。また,ここは和銅6年(713年)に始まった日本最古の観音霊場と云われる「九州西国霊場」の第13番札所にもなっています。小田支石墓(こたしせきぼ)は,昭和10年(1935年)に,光明寺の東に位置する小田砂丘遺跡において発見されましたが,現在では大石の一部が残されるのみとなっています。平成14年3月 西区役所 境内案内板ーーーーーーーーーーーーーーーー光明寺址小田小賦倉にあり,光明寺と呼ふ。昔此山の邊に清賀上人(一説空也上人)建立の大伽藍ありて萬歳山光明寺と號し,七堂備り巨刹なりしが,一時兵火に罹りて廃絶せしと云ふ。今観音堂あり。國中三十三所第十三番の札所なり。本尊は千手観音(長七尺五寸託摩作)にて,脇立は十一面(長六尺五寸)六臂(四尺五寸),多聞持國二天)各長4尺)等の像あり。又朽木の古佛像五あり。境内に大日堂あり。七堂の址は観音堂に上りゆく坂路の左右にあり。各所石佛を立て表とせり。子院六坊(古園坊,花園坊,赤江坊,水上坊,杉谷坊,明光坊)ありしが今は観音堂の西北に其名のみ圃の字に残れり。又山下に大門と云ふ所あり,是往古の寺門の址なりと云ふ。糸島郡誌ーーーーーーーーーーーーーーーー染井土小田の北河原園にあり,徑三尺深二間,清流にて常に炊事に用ふ。昔空也上人光明寺に詣て掛錫を志し此井の水にて法衣を洗ひけるが忽に緇に染みぬ,故に此名ありと云ふ。糸島郡誌。