安産・子供守りの上長尾御子神社。
御子神社の特徴
秋季大祭には地元の方々が集まり、多くの人で賑わいます。
安産や子供の守り神として、多くの家族に親しまれています。
最近、清潔感あふれる神々しい空間に生まれ変わりました。
今日神社にお参りに行ったら見つけました。皆さん、これって自然にできたものですか?どう思います?
付近に神社の幟がかなり多いので、進入路を間違え易いので、長尾病院を目指して参拝して下さい。境内はキレイに掃き清められて気持ちの良い場所です。駐車場も有り、西鉄バスは桜町下車です。
大きな道から少し入ったところに、この様な素敵な神社が有るのは驚きです。
いつものぼり旗を見て気になっていたので、行ってきました。社務所が閉まっていて、御朱印いだけませんでしたた。隣の って書いてありましたが、また訪問します。
上長尾御子神社は、福岡市地下鉄の福大前駅の東2.8kmほどの福岡市城南区樋井川(旧福岡市大字上長尾字本村)の高台に鎮座している神社です。旧社格は村社です。由緒は不詳ですが、明治5年(1872年)上長尾の村社に定められ、古きより安産の神、子供の守り神として近郷の崇敬が篤い神社です。当社の古くからの言い伝えや江戸時代後期に編纂された『筑前国俗風土記拾遺』によると、安徳天皇がある年の大晦日に太宰府から糸島郡吉井に遷御された際(安徳天皇御事蹟論にも見られます)に、白馬に乗ってこの地区を通り過ぎようとされましたが、誤ってシメ縄に引っ掛かり井戸に落ちたと伝えられています。この古い言い伝えにより、昔から上長尾地区では、白馬は飼わない、正月のシメ縄は飾らない、井戸を掘ってはならないと言い伝えられています。御祭神は、安徳天皇です。境内には末社の祇園社、豊作の祈願、収穫の感謝を行う社日社を祀っています。神社のある「上長尾」という地名は、かつてあった筑前福岡藩の早良郡(さわらぐん)上長尾村に由来します。明治22年(1889年)上長尾村、 下長尾村、東油山村、田島村、片江村、檜原村、堤村、柏原村が合併して樋井川村が発足して、上長尾村は消滅しました。昭和4年(1929年)原村・樋井川村が福岡市に編入しました。安徳天皇(あんとくてんのう:1178〜1185年)は、平安時代末期の第81代天皇で、高倉天皇と平清盛の娘・建礼門院徳子の間に生まれ、幼くして平氏の擁護の下で即位しました。母方が平氏であることから、清盛の権力基盤強化のために、数え3歳で天皇の座につきました。しかし、平氏の権力独占に反発する源氏との「源平合戦」が激化すると、平氏とともに京都を離れ、西国を転々とする日々を送ります。最終的に、寿永4年(1185年)の「壇ノ浦の戦い」で源氏に追い詰められ、敗北を悟った祖母・二位の尼に抱かれて、数え8歳(満6歳)で海へ入水し崩御しました。この際に、「波の下にも都がございます」という二位の尼の言葉や、安徳天皇が詠んだとされる「今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも 都ありとは」という辞世の句は、『平家物語』で悲劇のシーンとして名高いです。歴代天皇の中で最も短命であり、戦火の中で幼くして亡くなった悲劇の天皇として、今もなお語り継がれています。その御霊は、下関の赤間神宮に祀られています。
街の中にひっそりとある小さな神社です。樹齢50年の椎の木があります。ちょっとしたお散歩の目的地として行ってます。人もいないので、安らげます。
静かで好きです。
秋の秋季大祭のお参りに行きました。今年はコロナの影響でも少しさみしいかも、と思いましたがまあまあでした‼️帰りにお餅を頂きました。
【安産と子供の守り神】上長尾地区の氏神様。
| 名前 |
御子神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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母のお見舞いで家族と長尾病院へ訪ねた所近くにとても気持ちの良い神社有り、挨拶に寄りました 掃除がゆきとどいてありとても気持ち良かったです。