熊本の金凝神社で神秘体験!
金凝神社の特徴
綏靖天皇と武磐龍命を主祭神に祀る歴史ある神社である。
豊後国風土記に記された五馬山の伝説が深く刻まれている。
明治六年に郷社に列し、地元五馬村の産土神として崇敬される。
金凝神社 大分県豊後国日田郡五馬村大字五馬市字宮ノ尾郷社 金凝(カナコリノ)神社祭神 綏靖(スキセイ)天皇 武磐龍(タケイワタツノ)命豊後国風土記に、「五馬山昔者此山有土蜘蛛、名曰五馬媛、因曰五馬山」と見え、風土記解に「後世置五馬荘管十三村、其聚落曰五馬市、有官道南達之小国也、古昔此地方緦称靱編郷」とあり、蓋村名亦五馬媛に出でしなるべし、当社は創建年代及び由緒等詳ならずと難も、当村の産土神として、古来崇敬の社なり、明治六年郷社に列す。社殿は本殿、拝殿、神饌殿、神輿庫等を具備し、境内三百四十八坪(民有地第二種)あり。境内神社 遥拝所例祭日 十月十九日氏子戸数 百五十三戸崇敬者員数 未詳明治神社誌料。
地域の神社です。おくんちで神楽が舞いませ。
一度行って行きたいなぁ~
名前 |
金凝神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
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金凝(かなこり)神社は熊本の菊池川流域に多くある神社である。阿蘇神社には十二の神が祀られており、金凝神はその十二宮として阿蘇十二神の系図に組み込まれている。この系図は一宮・二宮から始まり少しずつ追加されて最後に金凝神が十二宮として系図に組み込まれたと考えられている。では阿蘇十二神に組み込まれる前はどんな神だったのだろうか?金凝神社の多い菊池川流域は古代は水運で栄えており大規模な集落や古墳が存在していた。7世紀頃には日置(へき)氏と呼ばれる製鉄技術に富んだ氏族が菊池川流域の玉名~山鹿地域を支配しており、彼らの祀る神が金凝神ではないかと考える人もいるようだ。それで何故そんな金凝神社が日田の山奥にあるのか?正直分からない(;´∀`)が個人的に日田と玉名山鹿は共通点がいくつかある気がしたので並べてみる。①弥生~古墳時代頃に栄えた日田は小迫辻原遺跡、山鹿は方保田東原遺跡と大規模な遺跡がある②湖が干上がった伝承日田は日田盆地にあった湖に大鷹が下り飛び去ると湖が轟轟と抜けて干潟になったという日と鷹神話山鹿は山鹿平野にあった茂賀の浦という湖を健磐龍命(阿蘇神一宮)が蹴破ったという蹴破り伝説が存在する③土蜘蛛の存在と景行天皇九州巡幸を行い各地の従わぬ勢力を討伐して回った景行天皇がいるが玉名山鹿地区には土蜘蛛「津頬」がおり景行天皇に討伐されている日田では久津媛が景行天皇を迎え入れ、この神社の西には土蜘蛛「五馬媛」がいた(討伐したかは不明)④筑後川(日田の下流)と菊池川の関係八女周辺の古墳の材料として菊池川下流域の玉名地方で取れた阿蘇凝灰岩が使われており、筑後川・菊池川は水運を通して強い結びつきがあったと考えれる。◇これらの関連性から日置氏の一部が日田天ヶ瀬へ移り住み金凝神社もこちらに分祀された、のかもしれない(完全に妄想)。祭神の綏靖天皇は金凝神のこと。阿蘇神社が天皇に連なる系譜であると主張するために「祭神の一柱=天皇」だと主張する阿蘇神社の外交政策だと考えられる。綏靖天皇=金凝神という構図は阿蘇神社の系図の中だけの話となっている。もう1つの祭神である健磐龍命(たけいわたつのみこと)は阿蘇神社一宮、いわゆる阿蘇大神のこと。