樹齢500年の杉に囲まれた圧巻の神社。
宮処野神社の特徴
圧巻の高さを誇る杉の巨木が並ぶ参道にあります。
歴史ある宮処野神社は荘厳な楼門が印象的です。
伝統行事の神保会が守る地域文化の宝物です。
2025年4月訪問樹齢500年の杉の木境内の木のほとんどがデカイ 😅💦
初めて通る道で、呼ばれたので参拝しましたが、もう圧巻です。御神気がめちゃくちゃありました。悩んだら相談してください。必ず心を洗い流してくれます。久々にため息の出る神社でした。
景行天皇は熊襲征伐のため九州へ向かい神夏磯媛に迎えられて九州に上陸。神夏磯媛に敵対してた鼻垂、耳垂、麻剥、土折猪折を討伐し京(福岡県行橋市京都郡)に行宮を作る。次に別府湾方向に向かうと速津媛に迎えられ、5人の土蜘蛛を討伐することになる。まずここ宮処野神社の地に行宮を作り、木々を切り倒しながら山を越え南下し土蜘蛛を討伐するルートをとったようだ。大野川は滝のような落差のある形状の川のため、大野川沿いに遡上する進軍ルートは不利になると考えたのだろうか?大野川に陣取り下流からの進軍に備えていたと思われる土蜘蛛「青・白」の2人を横(上流側の稲葉川or飛田の方向)から攻撃し討った(蝙蝠滝・原尻滝あたり?)。日本書紀には記述はないが豊後国風土記には景行天皇に従った土蜘蛛「小竹鹿奥・小竹鹿臣」の記述があり、俵積神社(宮処野と原尻の中間辺り)に名前が出てくる(社伝では小竹鹿奥・小竹鹿臣は景行天皇に敵対し攻め立てられ降伏したとあるが)。「青・白」を討った景行天皇は残り3人の土蜘蛛「打猿・八田・国摩侶」を討つために彼らの本拠地 禰疑野(道の駅すごうの裏あたり)へ進軍する(一旦宮処野へ戻ったかも)が、その途中の禰疑山にて矢を雨のように射られて敗走。城原(城原八幡宮の北に行宮)まで撤退し体制を整えた後に再度進軍し、禰疑野で八田を討伐。残った打猿・国摩侶は勝てないと悟り降伏するも許されず谷に追い落とされ死んだ。この戦いの際に景行天皇が兵を労ったことから禰疑野という地名となったとされる。その後、景行天皇は日向へ向かい熊襲征伐を終え九州西部側を進み最初の京の行宮から帰った。古社らしく巨木が立ち並ぶ落ち着いた場所だった。
心が落ち着く場所です。通常は殆ど参拝客がいないのでゆっくりと落ち着いて自然を感じながら過ごせます。杉の木の大木がこの町を守ってくれているように思います。雨の日や冬は階段がコケや氷で滑りやすいので気を付けて下さい。
道路沿いの鳥居を過ぎると50メートル先に次の鳥居が左手にある。大木群の参道が拝殿へと案内してくれる。石段を上ると桜門があり、次に広い境内と拝殿・本殿、大木群が目の前に現れる。大木群に囲まれての参拝は気持ちがいい。
心が落ち着く場所です。通常は殆ど参拝客がいないのでゆっくりと落ち着いて自然を感じながら過ごせます。杉の木の大木がこの町を守ってくれているように思います。雨の日や冬は階段がコケや氷で滑りやすいので気を付けて下さい。
初めて通る道で、呼ばれたので参拝しましたが、もう圧巻です。御神気がめちゃくちゃありました。悩んだら相談してください。必ず心を洗い流してくれます。久々にため息の出る神社でした。
空に向かって伸びる杉の木が、とても大きくて息をのみます。静かな場所で、時が過ぎるのを忘れる場所でした。
#巨木#パワースポットここの参道には杉の巨木の並木があります。1本1本かなり立派です。並木の参道の横には広い駐車場もあります。トイレもとても綺麗です。境内にも御神木以外にもとても大きな杉の巨木が何本もあります。山門は造り替えられていてまだ新しいです。拝殿にはとても綺麗な彫り物や天井の梁にも模様が彫られいます。境内は綺麗に掃除されています。鳥居を潜り参道からかなり厳かで神聖な雰囲気がしています。境内は静まりかえっていてとても神秘的な空気に包まれています。ここの神社の歴史は古く景行天皇がこの地方の土蜘蛛を征伐して行宮跡に天皇を御祭りした事から始まりこののち嵯峨天皇を祭神としていることから別名『嵯峨宮様』と呼ばれていて明治になり『宮処野神社』に改称されたとの事だから元はここは神宮だった事になりかなりのパワースポットだと思います。
| 名前 |
宮処野神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.8 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
あんまり訪問する人居ないんだろうなぁと思いましたが綺麗に清掃はされています。スズメ蜂の巣が気になったぐらい。