八女の山奥、南朝ゆかりの神社。
熊野神社(南大淵)の特徴
八女の山奥に鎮座する南朝ゆかりの神社です。
狭い道を進んでたどり着く神秘的なスポットです。
杣の吊り橋を訪れた後にぴったりな癒しの場所です。
格別な神社です。参拝をしてもらいたい。素晴らしい神様がいらっしゃる。作りも凄い。
20230923 五條家御旗祭に併せて参詣。神社まで徒歩で向かいましたが、途中の棚田の稲穂と曼珠沙華が美しく、山々と眼下にみえる大淵の町も相まって良い情景でした。創祀は1403年、五條頼治が熊野本宮大社より勧請。社殿は1854年に再建されたものですが、天井は格式高い格天井でしかも天井画(薄くはなっていますが)が描かれており、南朝ゆかりとあって立派な神殿と拝殿が建築されています。偶然、行きの道中でここを管理されている家の方に出会い、少しお話を伺うと代々五條家と関わりをもって神社の管理を任されているそうで、神社が非常によく維持管理されている理由がわかりました。
杣の吊り橋の帰りに寄りました。新年の三社参りがまだだったのでお参りさせていただきました。坂が急で道幅も狭いのでミニバンではかなり厳しいです。たまたま、軽の4WD切り替えが出来る車で、行ったので良かったです。
道が狭いので車では離合は出来ません。神社まで行くと車2台分ぐらいの空き地があります。田畑が見渡せるので気持ちがいいです。
南大渕地区の鎮守で南北朝時代は城であったところに祀られている。立派な楼門に拝殿・本殿に彫られている細やかな細工は一見の価値ありです( ̄O ̄)境内はきれいに掃き清められ、気持ち良く参拝出来ましたし、神社から望む八女の山々は美しいですね(*^^*)神社までの道のりは、県道に大きな看板が出てるので分かりやすいですが、劇坂かつ狭いので、軽自動車でないと通れません(^^;
南大渕熊野神社は、八女市・黒木支所の南西8.4kmほどの黒木町大渕の久保地区の高台に鎮座している神社です。旧社格は村社です。国道442号線から登る道が激狭いですが、駐車場からの見下ろす眺めは最高です。応永10年(1403年)後征西将軍の良成親王は南北朝の合一後も京都へ帰らずに八女の矢部の地で薨去されました。五條頼治はその後も矢部の高屋城を守り、奥筑後の土豪として矢部大渕の地を護り、熊野本宮大社より勧請して熊野神社が創祀されました。鳥居は、寛政12年(1800年)の建立です。灯籠は、天明6年(1786年)の建立です。手水鉢は、寛永10年(1798年)の建立です。社殿は、寛永7年(1854年)に再建されたものです。見事な彫刻や文久3年(1863年)に描かれた三十六歌仙画、明治8年(1875年)に描かれた絵馬が奉納されています。御祭神は、伊弉冉尊、速玉男命、事解男命です。境内社として、若宮神社があり、古くより「一万度社」と呼ばれ、御祭神の応神天皇は新たな産業、文化、技術を招き入れた優れた天皇として、その御利益は広範囲に及びます。神社のある「大淵(おおぶち)」という地名は、かつてあった上妻郡(かみつまぐん)大淵村に由来します。明治22年(1889年)大淵村・北大淵村が合併して改めて大淵村が発足しました。明治29年(1896年)八女郡(やめぐん)大淵村になりました。昭和32年(1957年)大淵村が黒木町に編入しました。平成22年(2010年)黒木町・立花町・矢部村・星野村が八女市に編入しました。熊野信仰は、修験道や神仏習合の影響を受け古来より貴賎なく老若男女を受け入れ、熊野に詣でると現世後世安隠、病気平癒、夫婦和合、交通海上安全、厄よけに霊験あらたかといわれています。
最高ですね。歴史もありますが、地元の方々が大事に守っていらっしゃっる事が伝わってきます。
八女の山奥に鎮座する南朝ゆかりの熊野神社です。見晴らしの良い神社です。参道の幅が非常に狭く頂上付近に急な切り返しがあるので大型車やセダンでは参道を通るのは不可能です。
| 名前 |
熊野神社(南大淵) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0943-45-0084 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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神気を感じる思いがしました。清々しい気持ちにさせてくれるのは素敵な眺めのせいもあるのかもです。