筑後川沿いの豊姫神社。
豊姫神社(豊比咩神社)の特徴
豊比咩神社は神功皇后にゆかりのある神社です。
蚊田の行宮跡が近くに位置している歴史的な場所です。
式内社論社としての信仰を集めています。
名神大社の一社と伺っていましたが当方の間違えでしょうか?ご存じの方がいらっしゃれば教えていただきたい。駐車場はありませんが、神社前に駐車できるスペースが有ります。
県道81をうきは市に向け筑後川沿いを進むと右側道路傍に神社は鎮座している。宮地嶽神社が先に目に入るがその右側になる。
豊姫神社は、高良社の相似する神社といわれています。豊姫は神功皇后の妹にあたり、武内宿禰の奥さんにあたる人です。久留米周辺では、古来豊姫信仰は深く、高良大社や赤司八幡宮でも祀られていました。現在では、当地のほか上津の本庄神社にも祀られています。
北野町の日比生にある神社です。
宮地獄神社と背中合わせに鎮座。三井郡の式内社「豊比咩神社」論社の一。平成3年の17号台風で鳥居が倒れたそうで、平成6年に再建されている。本殿と背後の木は背が高い割に無事だったようだ。筑後川の直ぐ横で。上代には水路が交通網の中心を成した以上、極めて重要な位置にあった筈。なのにこの鄙びたというか、寂れ具合は何ともはや。式内社「豊比咩神社」は大友宗麟の焼き討ち以来、行方不明になっている。論社の一つは近くにある赤司八幡宮、今一つは高良大社に合祀、上津天満宮の境内社にも豊姫社があるそうだ。高良大社では高良玉垂命と並んで祀ったともいい、共に筑後随一の格の高さを誇ったらしいのに、豊比咩神社の名を受け継ぐのは今では当社ばかり。当社が豊玉姫を祀るというのも、鵜呑みにしてよいものかどうか。豊姫の名は記紀になく詳細不明、神功皇后の妹とも。赤司八幡宮では道主貴=宗像三女神を豊姫とし、水沼君が奉祭した神とする。奇妙にも、安心院の三女神社にも同じことを書いてあった。田川の採銅所に祀る古宮八幡宮も豊比咩社であったし、三潴にも田川の地名があるし、豐國代々の姫を選び受け継いでいたのでは。そもそも豐國とは何だったか。豊前と豊後を分ける前の國と風土記に言うけれども、それなら対馬に豊玉町があって豊玉姫を祀る意味は。古事記が筑紫嶋(九州)を四面とし、その一面を豐日別とした神のみ英彦山に伝わる一方で、四面神を無視する日本書紀が「次豐國主尊、亦曰豐組野尊、亦曰豐香節野尊、亦曰浮經野豐買尊、亦曰豐國野尊、亦曰豐囓野尊、亦曰葉木國野尊、亦曰見野尊。」との一書を引用した理由は。加えて佐賀大和の川上社初め佐賀県内に散在する淀姫社が、豊姫を祀るものであったなら。豊国の範囲自体までも考え直さなければならない気もする。
式内社論社の豊姫神社。筑後川と巨勢川の合流点付近にあり、舟の交通の要所の守り神の雰囲気です。
水沼君が神功皇后のために建てた蚊田の行宮跡は、豊比咩神社の近くにあったとの伝承。
| 名前 |
豊姫神社(豊比咩神社) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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豊姫神社(とよひめじんじゃ)。福岡県久留米市北野町大城。式内社(名神大)論社、旧村社。【祭神】玉依姫命資料によると、式内社・豊比咩神社の論社。昔は宝満宮と称していたらしいが、由緒不詳。天平時代の鎮座とする説もあるらしい。筑後川と巨勢川の合流付近、堤防下にあり。明治六年村社に指定された。とあります。