1500年の歴史が息づく参道。
八坂若宮八幡神社の特徴
1500年前から続く由緒ある神社で、歴史に触れられます。
唐から帰朝した空海が祈願し、真言密教を広めた場所です。
真言密教の守護神として東寺に分祀された神社です。
唐から帰朝した空海が真言の普及をここで祈願した後、真言密教の守護神として東寺に分祀された由緒ある神社です。現在のご祭神は応神天皇、武内宿禰、三筒男です。応神天皇の皇統が絶え、御徳を偲び創建と由緒書にありますが、日本書紀に継体天皇は応神天皇の五世孫とあり、皇統は絶えてはいないようです。社殿を見ると、神紋は右三巴紋で、龍や波、鳥の彫刻があるので、大幡主、豊玉彦が祀られていたことがわかります。古代、この辺りは有明海が入り込む海人族の拠点で、奴国の大幡主や若き豊玉彦が活躍していたことでしょう。彼らが熊野や京都に拠点を移した後、三筒男が活躍し、中世藤原氏の隆盛に伴い応神天皇がご祭神に上書きされたようです。諏訪明神再建記を見ると、諏訪大社に祀られる前の建御名方神もこの辺りにいたかもしれません。古代史のスター花盛りです。(大幡主は熊野速玉大神、豊玉彦は八咫烏、三筒男は安曇磯良、崇神天皇、高良玉垂命)
由来書によれば、主祭神・応神天皇、脇祭神・武内宿禰、三筒男命と書かれています。本来仁徳天皇があってしかるべきだと思われますが不記載です。創建は、貴楽二年(507年)とあります。貴楽は九州王朝年号で、使われているのは、非常に珍しい。また古来この辺りは蚊田(賀汰)郷といわれ応神天皇由緒の地であり、北部九州豪族盟約の地でありました。平安時代僧空海が唐より帰国の折り当社に籠り真言の普及を祈願されます。その後真言祈祷社となり、真言密教の守護神として京都東寺に分祀されます。鎌倉時代には佐々木四郎高綱の寄進により栄えますが、室町期には戦乱により没収衰退します。江戸時代になると、久留米藩有馬家の氏社となり再興されます。
1500年前からあるらしい。
かなり古いようです。応仁天皇と看板にあった。
| 名前 |
八坂若宮八幡神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0942-41-2059 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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かなり長い参道です。以下引用させて頂きました。若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)社情報若宮八幡神社 由緒・略記主祭神・応神天皇 脇祭神・武内宿禰、三筒男命応神天皇の皇統が絶え天皇家の御徳を偲び貴楽弐年(西暦507)の創建と言う。古来、このあたりは蚊田(賀汰)郷といわれ応神天皇由緒の地であり、北部九州豪族盟約の地であった。平安期僧空海が唐より帰朝の折当社に籠り真言の普及を祈願する。その後、真言祈祷社となり真言密教の守護神として京都東寺に分祀。鎌倉期領主佐々木四郎高綱により、社領三拾六丁を寄進されて御神幸が宮陣村五郎丸字西郷(現久留米市)まであった。室町時代戦乱によって武家の庶家より寄進のあった広大な社領は没収され御神幸も廃止された。江戸期には源氏である有馬家の氏社となり毎年例祭に祭祀料を奉納された。明治に村社となり現在に至る。若宮八幡神社祭典日一月一日 歳旦祭七月第一日曜 夏越大祓七月第二日曜 夏祭七月十五日 夏宵祭九月十五日 放生会十一月二十三日 例大祭座祭十二月二十三日 年越大祓【社名】 若宮八幡神社【所在地】 三井郡味坂村大字八坂字拝殿免【祭神】 応神天皇、武内宿禰、三筒男命【由緒】 欽明天皇御宇貴楽二年創立(付記、貴楽は大化以前に於ける所謂私年号なり)其後佐々木四郎高綱再興す。宇治川先陣の勲功に依り、鯵坂の荘七百五十町を賜はりたり、内社領地として三十六町寄附す。旧上下東鯵坂両村を初め、三條江川北十五ヶ村の郷社なり。其の後社領廃止せらる。尚社説に曰く、上東鯵坂字沼口下西鯵坂倒木との二ヶ所を御休息所とし、三井郡宮陣五郎丸字西郷とか申所迄御神幸有之其後何代にか社領地引揚げられ、御神幸も相止みたる旨申伝有之、明治五年迄旧藩主有馬家より例祭日使用の注連竹六本御立藪より寄進あり。明治六年三月十四日村社に定めらる。【例祭日】 旧九月十五日【主なる建造物】 本殿、幣殿、拝殿、社務所【主なる宝物】 青銅製御粥鉢一個【境内坪数】 一千百十四坪【氏子区域及戸数】 味坂村大字八坂区 百十戸【境内神社】 天満神社(菅公)、松尾神社(大己貴命)