大船鉾の迫力、必見の逸品!
大船鉾保存会の特徴
大船鉾の迫力は他にない素晴らしさで感動します。
令和3年、見事な御朱印と厄除け粽がいただけました。
龍頭の完璧な保存状態に驚かされました。
後祭りの主役とも言える大船鉾。その大きさには圧倒されますね。
ちまきがなんか短くて特徴的だったけど安産とか書いてあったからちょっと関係ないかなと思って遠慮してたら御朱印が書き置き300円だったので今回御朱印帳買ってないのでと思ったら透かし彫のがあると じゃそれと言ったら在庫ないのでその場で書いていただく 小筆 毛が長い 神社では禁止だけど撮ってしまう 失礼いたしました ありがとうございました蛤と離れてそうだけど焼けたんだ 御神体が女性 なるほど ちまき買えばよかったAI「大船鉾(おおふねほこ)」は、京都・祇園祭の後祭(あとまつり)に登場する山鉾(やまほこ)のひとつです。大きな船をかたどった形が特徴で、歴史・復興・信仰の象徴としても注目されている鉾です。⸻🌸 概要• 名前:大船鉾(おおふねほこ)• 登場:祇園祭・後祭(7月24日)• 形式:曳き鉾(ひきほこ)=車輪で引くタイプ• 特徴:船の形をした鉾で、「凱旋(がいせん)の船」とも呼ばれる⸻🏯 歴史● 江戸時代の起源• 大船鉾は、江戸時代に登場。• 祇園祭の**後祭の最後尾(しんがり)**を飾っていました。• **前祭の「船鉾(ふねほこ)」**が「出陣の船」であるのに対し、大船鉾は「凱旋の船」とされ、対になる存在です。● 焼失と長い沈黙• **1864年の「禁門の変(蛤御門の変)」**で市街地が大火災に見舞われ、大船鉾も焼失。• その後、150年近く休止していました。● 復興• 地域の尽力により、2014年に復興巡行を果たしました(ちょうど150年ぶり)。• それ以降、後祭の山鉾巡行に再び参加しています。⸻⚓ 見どころ・特徴特徴 内容鉾の形 船型。龍頭(りゅうとう)を備え、優雅かつ力強いデザイン。ご神体 **神功皇后(じんぐうこうごう)**など、出陣と勝利を象徴する女傑装飾 船の上に飾られる錦・刺繍・螺鈿細工などが見事。巡行での位置 後祭の最後尾を務める「しんがり」として、行列の締めくくりを飾る⸻📍 見られる場所(町会)• 大船鉾は、**四条町大船鉾保存会(しじょうまち)**によって管理されています。• 例年、鉾建てや曳き初め、巡行の前後には町内で鉾が展示され、懸装品などを間近に見ることができます。⸻📝 ひとこと豆知識• 船鉾と大船鉾の関係は「出陣と凱旋」で、祇園祭における物語性を構成しています。• 女性のご神体を祀る珍しい鉾でもあり、女性の強さや勝利を象徴する存在です。
大船鉾別室局の朝鮮出来伝説にちなみ、鉾全体で船型をかたどり、後祭りの最欲を飾る鉾である。屋形中央部に神功皇后、屋形前都に副特生吉野様、遊部に操地手鹿島明神、細先に龍神安感強良の神を安置する。抽先の飾り物として文化十年(一八ーミ)製の大金と、文化元年(一八〇四)製の龍頭を隔年使用していたが、一限の変」の大火(一八六四)により龍頭を焼失大金幣のみ現存する。古来、四条町は南北に分かれており、女代でこの鉢を出していた。龍頭は北四条町、ていたが、明治に入り南北が統合され現在に至る。放載・後感は知地雲龍育海文織で一七世紀末~一八世能の作、他に文化文政年間(一八〇四~一八二九)にられた天然別・下別・文様などを所蔵する。幕に使われている羅然は一六世紀ポルトガル製であると伝わる。尚、この鉾は「蛤御門の変」の大火にて懸装品類を除き全てを焼失、以来一五〇年間休みとなっていたが、平成二六年に復興を遂げた。京都市。
大船鉾の始まりは、四条町では「祇園社記」の記事に基づき、嘉吉元年(1441年)の建立とされています。「康富記」の記述から、応永29年(1422年)にはすでに存在したという説もあります。いずれにしても応仁の乱以前からの古い歴史を持っています。その応仁の乱(1467年)には他の山鉾とともに焼失、23年後の明応9年(1500年)に再興したといわれています。しかし、その年の鬮順の記録には出ていないので、完全な復興は数年後かもしれません。その頃は人形だけを乗せた比較的簡素な「舟」でしたが、江戸時代に入り、次第に装飾が加えられ、囃子も加わって、「船鉾」と呼ばれるようになりました。天明の大火(1788年)で神功皇后の御神面を残して焼失、文化元年(1804年)には以前にも増して豪華な鉾として再興されました。現在残る懸装品や金幣はこの後に整えられたものです。しかし、元治元年(1864年)の禁門の変により木部など多くを焼失、以後は休み鉾となります。
令和四年 いざ祇園祭へ 7月23日祇園祭大船鉾保存会後祭の鬮とらずとして殿をつとめ、前祭の船鉾が出陣船鉾と称されるのに対して凱旋船鉾といわれていた。500年余りの歴史を持ち、江戸時代の再三の大火に被災するもそのつど復興を繰り返してきたが、幕末の元治元年(1864)におこった「蛤御門の変」にて屋形・木組・車輪等を失い、それ以来巡行参加することはなかった。長い年月を経て平成9年にお囃子の復興、そして焼失を免れた神功皇后の御神像や舳に飾る大金幣、また織物・刺繍の高度な技術を駆使して製作された大舵や水引・前懸・後懸等をお飾りしての「居祭」の再開で復活への機運が盛り上がり平成24年から唐櫃巡行を、そして平成26年四条町の皆様の熱意と多くの方々のご協力のおかげで150年ぶりに巡行参加することが出来た。この年より祇園祭も前祭・後祭の巡行が17日・24日と49年ぶりに分離巡行となった。後祭10基の山鉾の殿として、まだまだ未完の状態ではあるが堂々と朝日を受けて巡行する事ができた。今後は屋形の塗装・失われた人形の復元・また江戸期には現存する大金幣と隔年交代で舳を飾っていた龍頭の復原と焼失以前の優雅で豪華な姿になることを目指している。ŌFUNE HOKO performed the role of the final position in the procession of the last festival, exempted from the lottery, called Gaisen Funehoko‐returning in triumph, while FUNE HOKO in the first festival called Shutsujin Funehoko‐going into battle. The float has its origin more than 500 years ago. It has been absent from the procession since losing its house frame, wooden structure, wheels and so forth in the Hamaguri Gomon Incident in 1864, although it had been revived several times against suffering from the big fires through the Edo period. passing many years, in 1997, hayashi - the float orchestra revived and Ōfune Hoko resumed as “Imatsuri”, not joining the procession, displaying with the figure of Empress Jingū which had escaped from the fire, the big gold strips decorating at the bow, and the great steering wheel, mizuhiki, maekake, ushirokake and others produced by using high technique of fabric and embroidery. brought a great opportunity for revival. In 2012 Ōfune Hoko “Karabitsu” style procession began, and finally in 2014, with the enthusiasm of Shijo-cho residents and the support of many people, it joined the procession after 150 years’ absence.
朝鮮半島の新羅との戦争に勝利した神功皇后が、船に乗って帰還した様子を描いた鉾。山鉾巡行では、後祭の最後尾を進みます。1863年の禁門の変の後に起きた大火で焼失しましたが、2014年に復活しました。「大」船鉾ですが、前祭の船鉾より小さな鉾です。また前祭の船鉾は胴掛けが横じまで最後尾の舵が黒漆塗りですが、この大船鉾は胴掛けが縦じまで最後尾の舵が赤漆塗りです。また舳先の部分が龍頭と紙垂の2種類ありますが、2024年は龍頭を付けて巡行されます。ちなみにこの龍頭の舳先は、九山新太郎の子孫によって製作されました。九山新太郎は江戸時代末期の彫刻家で、東山区の瀧尾神社拝殿を飾る龍の彫刻を掘った方です。さらに大船鉾の南側にもテントが立って、そちらで大船鉾とコラボした地元企業のブースが入っています。和菓子や日本酒などの大船鉾オリジナル商品が売られています。
23年7月20日、祇園祭、後祭、「曳初め(ひきぞめ)」に参加しました。「曳初め」は鉾を建てた後の試し曳きです。15時から行われるのを14時過ぎに行って待ちました。「大船鉾」を曳く綱は「絶対にまたがないでください」と注意されました。神聖なものだからだそうです。そのあとに、塩で清め、「曳初め」をしました。綱を持ち、動き出しました。綱の先頭はよく慣れた方が曳くため、特に力はいらず、綱を持っているだけでしたが、スムーズに「大船鉾」が動き出しました。警察の方の誘導で、赤信号の道路を渡りました。「大船鉾」は信号の手前でぶつからず止まりました。みんなで一致団結し、祇園祭気分を味わうことが出来ました。
昨年(2022年)と今年(2023年)の大船鉾です。大船鉾も2014年に150年ぶりの復活を遂げました。今年の巡行は四条通の事務所前、昨年の巡行は事務所の中からの撮影です。
巡行後の鉾解体作業。梃子で車輪外し⇒枠外し+足場組み立てから龍解体作業。
| 名前 |
大船鉾保存会 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
大船鉾別室局の朝鮮出来伝説にちなみ、鉾全体で船型をかたどり、後祭りの最欲を飾る鉾である。屋形中央部に神功皇后、屋形前都に副特生吉野様、遊部に操地手鹿島明神、細先に龍神安感強良の神を安置する。抽先の飾り物として文化十年(一八ーミ)製の大金と、文化元年(一八〇四)製の龍頭を隔年使用していたが、一限の変」の大火(一八六四)により龍頭を焼失大金幣のみ現存する。古来、四条町は南北に分かれており、女代でこの鉢を出していた。龍頭は北四条町、ていたが、明治に入り南北が統合され現在に至る。放載・後感は知地雲龍育海文織で一七世紀末~一八世能の作、他に文化文政年間(一八〇四~一八二九)にられた天然別・下別・文様などを所蔵する。幕に使われている羅然は一六世紀ポルトガル製であると伝わる。尚、この鉾は「蛤御門の変」の大火にて懸装品類を除き全てを焼失、以来一五〇年間休みとなっていたが、平成二六年に復興を遂げた。京都市。