五条大橋で弁慶と義経の伝説を体感!
五条大橋の特徴
五条大橋は弁慶と牛若丸の出会いの伝説が息づく場所です。
源義経と武蔵坊弁慶の戦いがあったとされる歴史深い橋です。
平安時代初期の扇の言い伝えも残る、多彩な歴史を持つ魅力的なスポットです。
京都の五条大橋での弁慶と牛若丸『源義経』の出会いは伝説として知られています。五条大橋と弁慶・牛若丸の伝説の概要⦿五条大橋五条大橋はかつて京都の五条通にかけられていた橋で、現在の場所は少し異なります。五条大橋での出会いは彼の若き日のエピソードとして語り継がれています。⦿伝説の内容弁慶は五条大橋で通行人から太刀を奪うことを繰り返していました。999本の太刀を奪ったところで、笛を吹きながら現れた牛若丸に軽快な動きで敗れ、家臣になります。⦿伝説の始まりこの伝説は室町時代以降の物語や歌舞伎など脚色され、広く知られるようになりました。特に江戸時代には、絵画や歌舞伎で人気を博し、広く親しまれるようになりました。五条大橋での弁慶と牛若丸の出会いは、多くの人々に愛され、様々な形で語り継がれています。
五条大橋は、五条通の鴨川に架けられた橋です。平安時代末に牛若丸(源義経)と弁慶が出会ったという伝説で知られる橋です。現在の「五条通」は当時の「六条坊門小路」に当たり、平安時代の五条通(五条大路)は、清水寺から清水坂を下り鴨川を渡って松原通へとつながる道だった。したがって、牛若丸と弁慶が出会ったのは現在の「松原橋」ということになる。鴨川に架かる松原橋は、かつては五条橋と呼ばれていたが、豊臣秀吉が方広寺の大仏参詣の便をよくするため五条橋を南へ移したのだという。天正18年(1590年)に豊臣秀吉により方広寺大仏殿への参詣道として六条坊門小路に架けた公儀橋を五条橋と称し、通りの名も五条通と変更した。これが、豊臣秀吉が造らせた橋脚(石柱)で、五条児童公園にある「天正拾七年」等の文字が読み取れます。西暦1589年ですね。「五月吉日」と続いています。アクセスは、京阪電車「清水五条」下車西へ100メートル。
ここが弁慶と牛若丸の出会った場所………だと思ったら他の方の説明で分かったのですが、もう一本上にある橋だったそうですね。牛若丸と弁慶のモニュメントもあるしせっかくなので写メ撮ってしまいました。
GW近くのホテルに宿泊しました!橋には五条大橋とか書いてないので分かりづらいですね!周りには古いお茶屋さんとか、川床のお店もあり京都の風情を感じます。川の両側には歩道も整備されていて、夏とかは夕涼みに良いですね!GW橋の交差点で大きな事故があり、ビックリ!
五条大橋道路名:一般国道1号橋の種類:鋼橋(3径間)橋長:67.2m全幅員:36.0m 昭和34年3月竣工歴史:平安時代、現在の五条通は六条坊門小路と呼ばれていました。六条坊門小路の鴨川には橋が無く、豊臣秀吉が天正18年(1590年)に当時の五条通(現松原通)の橋を、現在の場所に移設しました。現在の橋になるまでには、洪水・大火などで幾度か改築されています。明治時代には木製の幅6mの橋でしたが、昭和34年(1959年)に架け替えられ今の姿になりました。デザイン:現代技術と美の粋を集めた鉄製橋として架け替えすることになりましたが、高欄については、旧橋と同じ木製にしたい地元の要望と近代橋を主張する当時の建設省や学識者の間で議論がありました。最終的には両方の意見を生かし、高欄は原型を模した石造り、青銅の擬宝珠は旧橋のものをそのまま活用することになりました。橋脚(石柱)と橋桁:五条大橋西側の五条児童公園では、秀吉が造らせた初代五条大橋の橋脚(石柱)を見る事ができます。また、京都国立博物館には、立体的に組まれた橋脚(石柱)と橋桁があり、当時の橋の大きさが想像できるほど迫力があります。その橋脚(石柱)には「津国御影<天正拾七年/五月吉日>、と文字が刻まれており。現在の神戸市東灘区御影から運ばれた事がわかります。擬宝珠:旧橋で使用されていた擬宝珠は、災害などでいくつか無くなり、新しく補充されていますが、現在も初めて設置された正保二年(1645年)の物が二基残っています。江戸時代の擬宝珠を探してみてください。五条大橋をきれいにする会 公益社団法人 下京納税協会Gojo Ohashi BridgeRoad name: National Route 1Bridge type: Steel bridge (3 spans)Bridge length: 67.2mWidth: 36.0m Completed in March 1959History:During the Heian period, the current Gojo street was called Rokujo Bomon Koji. There was no bridge over the Kamo River at Rokujo Bomon Koji, so Toyotomi Hideyoshi relocated the bridge from Gojo street (now Matsubara street) to its current location in 1590. Before it became the current bridge, it was rebuilt several times due to floods and fires. During the Meiji period, it was a wooden bridge with a width of 6m, but it was rebuilt in 1959 and has the current appearance.Design:It was decided to rebuild it as an iron bridge that brings together the best of modern technology and beauty, but there was a debate over the railings between the local demand to use wood like the old bridge and the Ministry of Construction and academics at the time who advocated a modern bridge. In the end, both opinions were taken into consideration and it was decided to use the original stone parapet and the bronze spires from the old bridge.Bridge piers (stone pillars) and bridge girders:At Gojo Children's Park on the west side of Gojo Ohashi Bridge, you can see the piers (stone pillars) of the original Gojo Ohashi Bridge, which was built by Hideyoshi. Kyoto National Museum also has three-dimensional piers (stone pillars) and bridge girders, which are so impressive that you can imagine the size of the bridge at that time. The bridge pier (stone pillar) is engraved with the words "Tsukunimikage (Tensho 17th year/Auspicious day in May)," indicating that it was brought from what is now Mikage in Higashinada Ward, Kobe.Gibozu:Some of the gibozu used on the old bridge have been lost due to disasters and have been replaced with new ones, but two that were first installed in 1645 still remain. Try to find some gibozu from the Edo period.Gojo Ohashi Cleaning Association Public Interest Incorporated Association Shimogyo Taxpayers Association
牛若丸(源義経)と武蔵坊弁慶が出会ったという伝説で有名な橋です。しかし、実際に彼らが会ったのは松原橋なので、是非セットで訪問しましょう。
弁慶と牛若丸(源義経)が戦ったとされる橋です。実際はここより南にあった橋が豊臣秀吉がこちらに移転させたらしいです。とにかく歴史があります。
この橋には、おなじみの義経と弁慶の言い伝えのほかにも、扇が平安時代の初期にこの周辺の地域で初めて作られたという言い伝えがあるそうです。この橋の西詰の北側に「扇塚の記」があり、扇は平安時代の初期この地に初めて作られたものである。ここ五條大橋の畔は時宗御影堂の遺跡であり、平敦盛没後その室 本寺祐寛上人によって得度し蓮華院尼と称し寺僧と共に扇を作ったと言い伝えられている。この由緒により扇工この地に集まり永く扇の名産地として広く海外にまでも喧伝されるに至った。いまこの由来を記してこれを顕彰する。と書かれている。
義経と弁慶でお馴染みの五条大橋。像は橋にあると思っていましたが、少し離れたところにありました。せっかくなら橋の袂にあれば良いのに…と思ったのは私だけでしょうか。
| 名前 |
五条大橋 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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京都の清水寺に行くとき、時々通ります。京の 五条の 橋の上〜と、亡き祖母が歌ってくれたのを思い出します。