信貴山城で歴史を感じる。
信貴山城址の特徴
信貴山城跡では歴史を感じられる感動を体験できます。
遺構や曲輪群に囲まれた壮大な城跡を散策できます。
松永屋敷の整備された説明板を見学し珍しい発見があります。
(奈良県の信貴山城の戦いの歴史の史実を詳しく?)天正5年(1577年)10月、織田信長に反旗を翻した松永久秀・久通父子が居城の信貴山城(奈良県)で織田軍の総攻撃を受け、10月10日に自害・開城し滅亡した戦い。久秀は降伏を拒否し、名物『古天明平蜘蛛茶釜』は爆破して、自刃したと伝えられその激烈な最期は戦国屈指の悲劇として知られています。信貴山城の戦いの史実⦿背景:二度目の反逆松永久秀は三好長慶の家臣から大和(奈良県)を支配する戦国大名となったが、織田信長に降伏後も度々反旗を翻していました。天正5年8月、上杉謙信の動きに呼応していました。信長に反旗を翻し、居城である信貴山に籠城しました。戦いの経緯(1577年)(10月5日〜10日)信長は即座に織田信忠(信長の長男)を総大将とする約4万の軍勢を派兵。織田軍は、信貴山城を包囲し、攻撃を開始。久秀は徹底抗戦の構えを見せたが、多勢に無勢であり、味方の裏切りもあり、城内は崩壊しました。⦿松永久秀の最期10月10日、織田軍の総攻撃により、信貴山城は炎上。松永久秀は降伏を拒否し、自らが所持していた名物の茶釜『平蜘蛛』を火薬で粉砕した後に自刃したあるいは爆死したとされています(平蜘蛛爆破は伝説とも言われています)⦿戦いの結果と影響久秀の敗死により、大和国は織田信長(実質的には筒井順慶)の支配下となり、大和における反織田勢力はほぼ一掃されました。信貴山城はその後廃城となりました。
ここに行く人はセットで朝護孫子寺にも行きますが、せっかくなので奈良の寺社もみたいですよね。朝イチでここに来るプランはこんな感じです。7:09に王寺駅→近鉄に乗り換えて信貴山下駅へ。駅の前から出るバスで信貴大橋下車。だいたい7:40ごろ。朝護孫子寺の中にある空鉢護法登り口の案内に沿って登城します。30分程度山道を登ると空鉢護法に到着。そのすぐ傍に「信貴山城址」の柱があります。空鉢護法は命運上人ゆかりの鉢に由来し、一願成就だそうですので、必ずお参りしましょう。そこから登ってきたのと逆側に降りていくと立入屋敷跡への分かれ道。さらにそこから下ると松永屋敷跡に到着です。トータルでおよそ60〜90分ほどかかりますので、下山したらちょうどお寺が拝観できる時間、9時です。9:44に信貴大橋を出て、そのまま王寺駅へ。隣の法隆寺にも奈良にも行ける時間です。
2026年元旦、初日の出。飛鳥方面から昇る初日の出が望めました😄。信長が熱望した茶器を道連れに爆死した松永弾正もこの様に初日の出を望むことが有ったのでしょうか?城趾は中世の山城らしく石垣はほとんど有りませんが、土塁と郭の跡が素人目にも分かります。高安山と信貴山の鞍部からの登り口には柵も再現されていました。今年(2026年)の大河ドラマは「豊臣兄弟」竹中直人さんが松永弾正を演じるとのこと、信貴山城のシーンがどの様に描かれるか楽しみです😄。
2025年10月8日(水)に信貴山口駅~高安山~松永屋敷跡~信貴山城址~朝護孫氏寺のルートで登山しました。登山道は分かりやすく、整備されており、迷う心配はありません。のんびり休憩しながらでも、3時間ほどでした。高安山へは藪道で、見晴らしも全くないので、行かなくても良いかな、という印象です。また、高安城址倉庫礎石群も狭い平地があるだけなので、あまり期待されない方が良い思います。蜘蛛の巣も多いですし・・・。松永屋敷跡は平地が広く、結構驚きました。山城でここまで広い平地は珍しいのではないでしょうか。城主の松永久秀公は、戦国屈指の築城家・文化人なので自宅もこだわって作ったかもしれませんね。(*^_^*)。空鉢護法堂へは立ち寄ることをお勧めします。見晴らしが最高ですし、ベンチ・トイレ・冷たい飲み物が揃っています。登山後に「信貴の湯」を利用させてもらったのですが、注意があります。グーグルマップ上に表示されたルートは、「のどか村」の敷地を通っており、現実にはフェンスで通行止めになっていました。グーグルに連絡した結果、現在はルート表示されないようになりました。グーグルマップは素晴らしいですが、完璧ではない、という事ですね。勉強になりました。登山後の温泉は信貴山観光ホテルの方が便利です。ちょっとお高いですが。(*´ω`*)
初めて登りました。道中は緑に生い茂ってるので空気も良いです。
天文5年(1536)木沢長政が入城。永禄2年(1559)松永久秀入城。天正5年(1577)久秀は信貴山城に籠城したが織田軍に攻められ自害、落城。朝護孫子寺(駐車場)から登り天守があったとされる雄嶽へ、さらに北側曲輪、松永屋敷。当時の資料で爆死は未確認?できれば爆死で。2021年訪城。また来たい山城。
夏の18時以降、駐車場が無料になってから登城しました。松永久秀で有名な信貴山城は、大観光地の奥手の山にあり、結構な階段を登っていくと、南側の本丸郭跡に辿り着きます。そこに石碑と説明板が建っています。キツいけど階段になっているお城はとても登りやすく、夕方でしたが明かりを灯してくれていました。そこから北側に広がる縄張りに、松永久秀屋敷跡などがあり、遺構もかなり残っているそうですが、もう暗くなっていて、そこまでは行くことができませんでした。帰り際には、浴衣を着た外国人とバラバラと10人くらいすれ違いました。コト消費インバウンド修行体験宿泊で盛況なのはいいことです。
松永弾正久秀が、信長に二度目(説によりては3度目)の反旗を翻し、信長の説得にも応ぜず平蜘蛛の茶釜と共に自爆したという、有名な信貴山城の跡を訪れた。車は、朝護孫子寺[ちょうごそんしじ]の有料駐車場(1日500円)に停めて、本堂にお参りをし、多宝堂の左脇の空鉢護法[くうはつごほう]参詣道を登って、天守跡(本丸跡)へ来た。実は現在天守跡には空鉢護法堂があり、寺の関係者も昼間は常駐しているようで、道は急なところもあり疲れるが、整備されていて登り易い。時間は多宝堂から20分位掛かったか。尚、この天守跡に信貴山城址碑があり、ここに奇麗なトイレもある。松永久秀は天守で自爆?(自刃?)とあるのだから、ここで亡くなったのか。次に、ここから北の方へ降って行き、立入屋敷[たてりやしき]を経由して松永屋敷跡へ行った。松永屋敷跡はとにかく広かった。尾根に沿って段々に5つの曲輪が連なっている。曲輪間には仮設の階段が設置されていて、それなりに史跡として整備されているし、城跡説明看板等も適宜あり、見学し易かった。5つの曲輪や松永屋敷の虎口等もじっくり見学すると、1時間位は掛かる。天守跡からはちょっと離れていて、帰りは登りになるのでちょっと辛いが、ここを見学しないと松永久秀の信貴山城を見学したことにはならないので、ぜひ訪れることをお奨めする。尚、帰り掛けに雌嶽曲輪に足を延ばしたが、こちらは細長い平坦地に樹木が林立しているだけで、省いても宜しいかと思う。今回、駐車場から登って、城跡等を巡って、また駐車場まで降ってくるのに、3時間位掛かったが、後悔はない。さて、信貴山城であるが、朝護孫子寺のチラシによると、最初天智天皇の御代に築城され、中世には大塔宮護良親王[だいとうのみやもりながしんのう]が鎌倉幕府軍への対抗拠点とし、楠木正成も一時この城に拠ったという。大変興味が湧くが、本格的な城郭が築かれたのは、天文5(1536)年頃で、河内守護職畠山氏の有力家臣、木沢長政によってである。その後、永禄2(1559)年三好長慶家臣松永久秀が大和に入国すると、多聞山城と共に大規模な改修をした。しかし、永禄11(1568)年には筒井順慶と三好三人衆連合軍により落城したが、久秀は上洛を果たした織田信長にいち早く接近し、援軍を得て直ぐさま信貴山城を奪還した。ところが、元亀2(1571)年頃より久秀は反信長包囲網の厳しい情勢を鑑み、信長を離れ反旗を翻した。しかし、元亀4(1573)年春信玄が上洛(?)途上に病にかかり駒場で没すると、天正元(1573)年暮れにはコロリと信長に観念し、多聞山城を信長に差し出し、許しを得て信貴山城へ退いた。ところが、またである。天正4(1576)年信長の第2回石山攻めで大和守護である塙[はなわ、又は、ばん]直政(原田直政)が討死すると、大和の覇を競ってきた筒井順慶が信長より大和守護に任じられ、大和支配を狙っていた久秀は信長に激怒し不信を抱いた。翌天正5(1577)年、越後の上杉謙信が手取川の戦いで柴田勝家ら信長軍を破ると、再び(三度という説もある)久秀は石山攻めの天王寺砦から兵を引き揚げ、信長に反旗を翻し、信貴山城に籠った。すると、信長は久秀がまだ利用できると思ったのか、久秀と親交のある堺衆松井有閑を信貴山城に派遣し翻意を促したが、無駄だったようである。信長は、信貴山城攻めの総大将に嫡男信忠を任じ、総勢4万を超える軍勢を差し向けた。織田軍の猛攻が始まると久秀は観念し本丸(天守)に退き、平蜘蛛の茶釜など和漢の名器と共に爆死(?)した。享年68歳である。この時、信貴山城も廃城となった。《2024.8.28訪問》
信貴山城は標高433m(比高380m)の信貴山に築かれた城で乱世の梟雄と言われた松永久秀の居城でした。車で訪れるなら朝護孫子寺の駐車場に停め、そこから参道を登るルートが便利だと思います。そこからなら比高は約140m程度です。信貴山城の城域はたいへん広く、今も複数の尾根筋に多くの郭を確認することができます。往時は広範囲に郭を張り巡らせた広大な城であり大和最大級だったそうです。しかし、現在は山頂の空鉢護法堂あたりまでは完全に寺院の雰囲気で山城らしさは薄く、その先は郭が連続し山城らしさは感じますが遺構は郭と堀切程度でほぼ何も残っていません。元々ほぼ土の城で石垣などは少なかったようです。信貴山城は楠木正成による築城とも伝わっていますが、本格的に整備したのは木沢長政で長政敗死後に松永久秀が入り、再整理したようです。松永久秀が織田信長に反旗を翻し、敗れた後に廃城となったようです。信貴山城は城主を含め有名な城ですが、遺構は少なく、山城らしさもそこそこなので、わざわざ訪れる価値があるかといえば微妙です。朝護孫子寺の観光とセットで回るのが良いかと思います。
| 名前 |
信貴山城址 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0745-72-2516 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
https://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/naranoshiro/shigisanjo/ |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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信貴山の雄岳山頂付近にありました来月上旬に毘沙門天の開屏と大祭があるみたいですが、今日はガラガラで自由にまわれました登山ではないが、結構階段を登って到着しました山頂付近にはたくさんの龍神様が居られました。