歴史と共に歩む里山の寺院。
宗生寺の特徴
宗生寺は筑前国中三十三観音霊場の第十八番札所です。
歴史を感じる400年以上の由緒ある曹洞宗のお寺です。
許斐城主多賀出雲守隆忠が創立した歴史的な寺院です。
素敵なお寺でした。
筑前西国霊場 十八番札所 曹洞宗 馬頭観音菩薩。
歴史探索ができてよかったです。馬頭観音様は、3年後にご開帳されるそうです。
令和元年5月2日参拝筑前国中三十三観音霊場 第十八番札所御朱印あり(住職不在のため書置き)本尊:馬頭観世音菩薩(秘仏)宗派:曹洞宗御詠歌:伝え聞く古よりも此の寺に火は近づけど焼けぬ尊さ文明十五年(1483年)許斐城主多賀出雲守隆忠が、 亡父の追悼のために創立した寺院。本尊は秘仏(三十三年に2回開帳)の馬頭観音で本堂右手から昇ると観音堂がありその中に安置されている。山門は名島城の搦手門を移転したもので、ツツジ園や小早川隆景の墓所があることで有名なお寺。
奥深い 里山で歴史を感じられる。
400年以上も続く、曹洞宗の由緒あるお寺です。車で行く場合、車一台分の幅しかない道が続きますので、対向車と譲り合いながら訪問して下さい。
令和元年5月2日参拝筑前国中三十三観音霊場 第十八番札所御朱印あり(住職不在のため書置き)本尊:馬頭観世音菩薩(秘仏)宗派:曹洞宗御詠歌:伝え聞く古よりも此の寺に火は近づけど焼けぬ尊さ 文明十五年(1483年)許斐城主多賀出雲守隆忠が、 亡父の追悼のために創立した寺院。 本尊は秘仏(三十三年に2回開帳)の馬頭観音で本堂右手から昇ると観音堂がありその中に安置されている。 山門は名島城の搦手門を移転したもので、ツツジ園や小早川隆景の墓所があることで有名なお寺。
こちらに至る道のりは、広い道からいきなり狭い道に入りますので、慣れてない方には厳しいかもしれません。宗像市は大穂にある「宗生寺」は、文明十五年(1483)、許斐山城の城主、多賀出雲守隆忠が亡き父のために建立したとされる曹洞宗の禅寺です。このお寺は歴代藩主から手厚い保護を受け、宗像地方でも指折りの古刹と言われ、裏山には奈良時代の行基の作と伝わる馬頭観音像(三つの顔と六本の腕を持ち、正面のお顔の頭には馬の頭を頂く)を安置したお堂があり、一般公開は三十三年にわずか二回だけ(前回は平成二年(1990年四月十五~二十一日)という秘仏で、福岡市城南区・油山観音や前原市・雷山観音と並ぶ三大観音に数えられます。唐津街道が交通の要所だった頃、参勤交代のお殿様方は、この寺で道中の安全を祈り、御札をもらっていたと言われています。山の斜面を利用して作られた寺の庭園は、第十六世不文禅師が約二百年前に造ったもので、松岩山斜面にかけての約六千坪に、三千本あまりのツツジが植えられ、見ごろの四月末から五月中旬ごろまでは、多くの人で賑わいます。山門は、名島城の搦手(からめて)門を移転したものと言われ、寺の後方には、 桃山時代の武将で筑前の領主であった小早川隆景の墓所があります。 隆景公が生前宗生寺の住職の禅を学び、死後は自分が帰依した七つの寺に骨を分骨せよといい遺したためです。古くは「崇聖寺」と書いたそうですが、現在では「宗生寺」、いつの頃、どうして変わったかはわかっていません。慶長五年(1600)に移築したもので、一本のノグルミ(化香樹)の大木でつくられ、 現存する名島城の遺構としては数少ない貴重なものと言われている。宗生寺は旧唐津街道が通過する大穂の集落より1kmほど山手に入った所にある。 本堂に向かって右手の急な石段を登ると杉木立の中に馬頭観音と延宝六年(1678)筑前藩主黒田光之が建立寄進した鐘楼堂もあり、広大な敷地面積である。旧唐津街道を外れて宗生寺に至る参道には、清流が流れる水路、その両側に立ち並ぶ古い民家・林などがあり絶好の散策コースである。 境内・参道の民家には春は、梅・桜など、秋は本堂前のカエデなどあり最も良い散策の時期である。参考資料:『筑前の寺めぐり』の記事、『筑前國続風土記』(2019年5月15日)
米山寺(広島県三原市)にある小早川隆景墓と同型の墓Ⅱは、遺髪が納められていると住職様からお話を伺えました。名島城の遺構もあり歴史的に価値ある寺院です。
名前 |
宗生寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0940-36-2514 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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光岡から唐津街道を歩いて行きましたが、1時間ぐらいで、いい散歩になりました。藤の花が咲いてる頃に再訪したいですね。