1300年の歴史、心静まる参道。
東大野八幡神社の特徴
東大野八幡神社は1300年以上の歴史がある由緒正しい神社です。
樹齢500年の御神木の杉が圧巻で自然豊かな場所に鎮座しています。
美しい竹林と手入れされた参道が心を静める魅力的な空間です。
自然いっぱいで素敵な神社でした。森林浴できて良いですね!
東大野八幡神社は毎年8月14日に先の対戦の英霊となった戦没者慰霊祭が神前で行われるので戦没者の御霊に感謝して頭を下げに毎年出席しています🙆神社は静かな森の中にあり涼しく爽やかな風が何時も吹いている所ですよ💕昨今の宗教のトラブル等嘆かわしい限りです😭今一度キリスト教よりも、仏教よりも、日本に古くからある神道にも目を向けてまたには近くの神社に足を向けるのもありですよ💖心が洗われるぐしますよ🙆
小倉南区の平尾台の麓・母原にある歴史ある神社です😃創建は、1300年以上前の666年(天智天皇5年)と歴史由緒がありますね!
住宅街が途切れ畑山農村になる境、平尾台を仰ぎ見る花枝山に鎮座する古いお社です。旧社各は郷社。祭神は応神天皇(品陀和気命)、神功皇后(息長帯姫命)、宗像三女神(多紀理姫命・多岐都姫命・市寸島姫命)です。創建は古く天智天皇5年(666年)、2月に高津尾の里降原(現在の郷原)影向石に八幡大神の神霊が出現。「吾は広旗八旗神なり」と宮崎守明に神託したとも言われています。その後養老4年(720年)秋、初めて放生会あり、大宮司及び次官12名供奉し云々とあるを以て、当宮社頭が盛大であったと考えられる。天喜3年(1055年)、社殿を山本村沼に遷し、沼宮と称される。享禄5年(1532年)大友氏の兵火に遇い社殿を悉く焼失するも、天文5年(1536年)、大内氏により社殿を再建しました。大友宗麟が宇佐神宮をはじめ寺社を悉く焼き討ちにしたのは有名ですが、こんな場所迄も兵火に巻き込んだのですね。その後、東西大野郷十六ヶ村の産土神として崇められました。同年8月、大野山上に鎮座、大野八幡宮と称されました。寛文7年(1667年)、衆庶の崇敬により現在地(花枝山)に社殿を建立勧請せられ、以来東大野八幡神社と称し、東谷十ヶ村の産土神と崇められました。寛延2年(1749年)、小倉城主小笠原忠基公が奉幣し、里人に社殿再建を命じる。その後、小森手長大社となり、明治5年(1872年)に郷社となりました。「東大野」と言うだけに対する「西大野八幡神社」も近隣にあります。在郷の井手浦地区で1月8日に行われる尻振り祭りは、古くからこの神社の神官と井手浦地区の住民が執り行っています。境内は鬱蒼とした林の中にあり清浄な空気が漂っています。林の中にありますが、境内は明るく綺麗に保たれています。拝殿は入母屋平入り唐破風付でコンクリートで造られています。本殿は三間社流造で屋根には5本の鰹木と外削ぎの千木を乗せます。本殿には緻密な彫刻が施されており、当宮の見所の一つになっています。境内には猿田彦を祀る碑もありました。駐車場は東参道から入ると鳥居を抜けた先の林の中の空き地になります。数十台は止められるでしょう。この参道は住宅街を抜ける細い道を通りますので要注意です。御朱印は直書きですが宮司さん不在の時は書き置きタイプになり、何れも¥500-で頂く事が出来ます。社務所はいつも開いている訳ではないようです。宮司さんの奥さんの感じも良く、気持ち良く参拝させて頂きました。また立ち寄ります。
樹齢500年の御神木の杉は圧巻です。杉にしては、珍しく、幹の途中から何本も枝別れしています。
322沿いに面した東大野八幡神社。木々に囲まれ鳥の囀りも聞こえる。静かで落ち着く神社だ。
我が家の愛犬が脱走して毎日、愛犬が帰って来ますようお参りしました。脱走から8日後あきらめていたら動物愛護センターから捕獲していると連絡がありました。元気に帰ってきました。東大野神社さま有難う御座いました!
静かな場所に有るね。良く手入れしていて気持ち良かよ。
下の鳥居から階段を登って行きました 木々が両側に深く広がって空気感が違いました社殿に着いたら朝早かったので朝日を受けて光ってるようでした。神殿の軒天(?)の装飾が素晴らし、深い趣が有ります。
名前 |
東大野八幡神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
093-451-0377 |
住所 |
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HP |
https://higashioono.jimdo.com/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B9/ |
評価 |
4.3 |
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静かで清らかで良かったです。かなり清掃が行き届いてました。気持ち良く参拝できました。こういうとこがいいんです!隅々まで良かった。行けばわかるさ。