武田信玄公誕生の地、要害山城。
要害山城跡の特徴
武田信玄の生誕地として名を馳せる山城です。
曲輪の連続にお城好きが夢中になる魅力があります。
標高780mの要害山山頂には歴史を感じる石碑があります。
続日本百名城ですスタンプは甲府駅の近くの甲府市藤村記念館にあります駐車場が無いので、近くのコインパーキングに停めましょう窓口の気さくな女性が要害山城の資料をくれますそこから、約6kmで登山口の駐車場です上り25分、下り25分、見学を入れて約1時間の登山です城趾なので、もう頂上かな?もう頂上かな?の連続、攻めるのも大変ですね途中に自販機など有りませんので。
躑躅ヶ崎とセットで登城したい城跡です。武田氏縁の城跡で躑躅ヶ崎館の詰城として機能しました。今川勢の福島正成の甲斐国侵攻に遭った武田信虎は正室である大井の方を要害山へと避難させ、そこで生まれた嫡男こそが後の武田信玄です。縄張りは登城口でもある西側は枡形や多くの門で多数の曲輪を配置。徹底的な防御システムです。西側搦手はシンプルに堀切と竪堀で防御を固めてますが東側の門同様に石垣を多用しています。現在の遺構は勝頼による改修のものなのか、はたまた後に入城した加藤氏の物なのか不明ですが登城すれば「要害感」が味わえる城跡です。登山口には駐車場もあります。杖は登城口案内板下にありますが、スニーカーでは滑るかもしれないのでトレッキングシューズ推奨です。搦手から尾根を行き、分岐を右折して暫く歩くと熊城に行けますが痩せ尾根や高さのある堀切を下るので熊城へ行く際は滑落予防にトレッキングシューズを必ず履きましょう。
🏣山梨県甲府市上積翠寺町🅿️🚗…有りました。🚌…甲府駅から15分程乗り積翠寺下車徒歩15分程。※要害城又は積翠山城…と言われいるそうです。※建造時期1520年※遺構堀切.竪堀.石垣.虎口.土塁.井戸.土橋※2020年に築城※誕生信虎は1519年に躑躅が崎の地に館を築き本拠地とした。1520年緊急時に避難し立て籠る詰城として背後の円山に要害城を築く。1521年駿河勢が甲府盆地に攻め入った際には懐妊中夫人が要害城に避難し、後の武田信玄を出産。※反乱を起こした油川.小山田氏らを平定し家臣とした。武田氏館の周辺に住まわせ、さらに商職人を住まわせ、館を中心とした城下町、府中.甲府を開創。※要害城は山腹から主郭至る通路に沿って枡形虎口に伴う門と郭が複雑かつ連続して付設されている、竪堀や堀切りを要所に設け防御を固めている。平坦にならされた山頂の主郭は東西約73m、南北約22m土塁に囲まれて、庭園の跡をうかがせる大石も存在します。勝頼が新府城に移るまでの62年間、武田氏館跡と共に武田氏の領国支配の本拠地と成った城。今でも水をたたえた井戸(諏訪水)や武田不動尊の石像、東郷平八郎の書による「武田信玄公誕生地」の石碑が有りました。※お山の全景を見ますと緩やかに見えますが…以外や坂道の連続でした...が、素晴らしい山城、東郷平八郎書の石碑は圧巻でした。又庭園で有ったろう大石探し…?※駐車場の向かいに簡易トイレが有ります(往復1時30分程)途中お手洗いは有りません。
※2025年5月に訪問しました。3カ月前の情報ですが、ご了承下さい。続日本100名城の要害山へ行きました。武田信虎が築いた山城です。バスの本数も少なく、バス停からもかなり歩きます。なかなか登り甲斐のある山城です。堀切跡が個人的な見所です。続日本100名城スタンプはここにはありません。甲府駅近くの藤村記念館にあります。要害山のパンフレットも貰えます。甲府城に行く予定と一緒にスタンプーもらうのがベストだと思います。
要害山城は1520年に築かれたお城です。武田信虎公が本拠地を甲府に移した際に躑躅ヶ崎館を建設しましたが、もしもの際は防御の固い要害山城に籠もって戦うことを想定していたようです。実際に1521年に今川軍が甲斐南部に侵攻。信虎公は現在の身延町で迎え撃ちますが大敗し、甲府まで撤退します。その後今川軍が甲府盆地まで軍を進めてきたため、信虎公は臨月だった大井夫人を躑躅ヶ崎館から要害山城に避難させます。信虎公は少ない兵で再び今川軍を迎え撃ち見事勝利。この勝利の半年後に信玄公が要害山城にて誕生したそうです。そのように守りの固い山城なので、主郭部分まで登ろうとすると「登山」になります。都合により普通の運動靴で登山口と主郭を往復しました。登山道は綺麗に整備されていますが傾斜がきつめだったため、降りはつま先が痛かったです。また、乗り越えられない程ではありませんが倒木の箇所もあり、トレッキングシューズの方が無難だと思います。登山口近くに無料の駐車場があり、近くの積翠寺までバスも1日3便ながら出ています。気づく範囲では登山口近くにトイレはありませんでした。道中は堀切や土塁、門や郭などの跡が綺麗に残されているので、お城好きにはたまらない城跡だと思います。今回は史跡巡りだったため主郭までしか行きませんでしたが、写真を撮りつつ1時間弱ほどで登頂できました。途中で眺めの良い場所もありますが、主郭部分からの眺望は無しです。
続日本100名城巡りでクルマで訪問。駐車場までの道は広くて問題なし。山道は結構急で倒木もあります。30分位で本丸に到着。薮化しているところもありますが、遺構は見られます。
続日本100名城の一つ要害山城跡です。ちなみにスタンプは駅前の藤村記念館ですのでご注意を。車で行くなら入口付近に駐車場があるので良いですが、バスはほとんど通りませんし、タクシーもいません。歩くなら武田氏館跡から30分ぐらいかかります。登山口から頂上まではだいたい30分ぐらいでしょうか。途中で曲輪や竪堀、土塁などの遺構を確認することができます。頂上からの眺めは素晴らしく、、、^_^ないですね。周囲が高い木々に覆われていてあまりよく見えませんでした。割とガチで山なので、登山の格好したり、喋るもしくは音を出すなど、ある程度ちゃんとしていかないと大変なことになるかもしれません。
大蔵経寺山から3時間半、西側の登山口へ下って25分でした。城の形跡はありませんが、城跡であることがわかる曲輪や堀切跡などの標識はたくさんあります。開けた山頂部は主郭部となっていて、平らで土塁に囲まれてもいて、二の丸跡という感じがします。でも戦国時代の山城なので、砦跡と思ったほうが正解かなと感じました。山梨百名山の一座でもあるので、端のほうに山頂標識や山名板があります。
城跡とは言え、単純な山でした。続日本100名城、山梨100名山登山口から武田信玄公誕生地by東郷平八郎の石碑まで25分もかかりました。その前に10月だというのに30度の気温と武田神社からカンカン照りを35分歩いてきた(日中のバスの便は往復1本。)ので、そこまでで消耗してしまいました。帰りに登山口から6-7分積翠寺バス停11:54発のバスを使いました。まだまだ整備途上の山城跡という感じですね。案内などの整備はこれ以上しないのかもしれません。各地の山城をみてきましたが、ここは城跡というよりも単純なハイキングのための山(眺望もない)としか認識できません。因みに新府城も整備されてない、一部マニアのための迷城ですね。歴史上の英雄が存在した事実を誇りとしていないかのようです。
| 名前 |
要害山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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わかりやすく要害山城の歴史と感想を●歴史●要害山城=武田氏の城戦国時代に武田氏が3代(信虎、信玄、勝頼)にわたって領国支配の本拠地としていた・1520年武田信虎により築城理由本拠地(現在の武田神社)を守るための詰城として、その背後(北方約2km)の山に要害山城を築いた本拠地が敵に奇襲された際に避難や籠城するため・1600年政治的理由により廃城理由豊臣家の滅亡後に"一国一城令"や"武家諸法度"が定められた主要な城以外は取り壊しが命じられてこの時代の流れによって廃城に・現在国の史跡に指定●感想●武田神社の後にこちらに訪問数ある城跡の中でもかなり険しい道のり…!!そのため"最後の砦"感がビシビシ伝わりました季節外れの雪が舞う中(3/15)軽装どころか悪装備で行ってきました足元は2000円のレインシューズ、片手に100円ビニール傘をさしながらなかなか険しい山道を独りでテクテク…門の石垣はどれも崩れてしまってはいるが当時の面影は確かに残っていてその時代に没入でき、個人的には堀切跡が特に心に残っている雪景色は良かったが道のりを考慮すると晴天&トレッキングシューズがおすすめかと。